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コロナを疑う。

 僕は2022年8月現在、とあるコールセンターのオフィスで働いている。
 コールセンター。
 僕にとってその名は、かつて恐怖でしかなった。
 今から12年前の2010年、僕はココロの病が原因で発作的に、足かけ16年という長い時間を過ごした大阪を捨てて札幌の実家に逃げ帰った。当時の実家は両親が老後のために購入したマンションで(僕が高校まで暮らした南区の家は老朽化もあって処分した)、僕には何の思い出もない。ただでさえこの16年のあいだに変貌を遂げた札幌で僕は浦島太郎状態だったうえ、30半ばにしてまさかの居候。一日でも早く自立せねばならないことは痛いほど分かっていたから、たまたますぐご近所にあったハローワークに足を運んだが、これといった資格も免許もなく、また正社員として働いた経験もなく、もはや体力もない。ハローワークの面談で職員から「その年齢でそんなんじゃ、あんたに仕事なんてないよ」という主旨の言葉を浴びせられて引きこもりにもなった。そんな僕が唯一ありつけたおシゴトこそ、コールセンターのオペレーターだった。
 もともとPCを所有したことがないのに、大阪でインターネットのコンサルティングなんぞしていた僕。これもまあ電話を使ったおシゴトなので、言ってしまえばコールセンターだ。敬語の使い方くらいは理解しているつもりなので「話すこと」じたいに抵抗はなく、多少前夜のお酒の臭いがしたとて対面ではないからお客さんには分からない。これこそ僕の天職ではないか?
 いやいや、人生そんなうまい具合にコトは運ばないものだ。僕は話すことに抵抗はないものの、極度の心配性で、ビビりで、打たれ弱い人間だ。アタマの切り替えも満足にできないし、すぐにヘコむ。早い話がこのおシゴトには「向いてない」のだ。

 けれども前述の通り、僕が獲得できるおシゴトなんて限られている(と勝手に思っている)。年齢も年齢だし、選んでる猶予はない。本当にやる気があるのなら計画を立てて資格取得を目指すという選択肢もあったのだろうが、当時の僕にはそんなことを考える余裕もなかった。
 僕は結局、とあるインターネットプロバイダのコールセンターで働くことになった。人件費の安い札幌にはコールセンターも多い。当時、新しいセンター立ち上げでスタッフ募集をしていた会社と契約できたので、いわゆる「引きこもり中年」として転落することにならなかった(まあ別の転落はしたけどね)のは幸いだ。

 僕が希望配属されたのはカスタマーサポートを担当する部署で、新しいセンター、つまり1期生ということもあり職場の雰囲気もアットホーム、今にして思えばとても恵まれた環境だっと思う。聞いたことのない会社(出資企業は大手だけど)がクライアントさんで、マンションに備え付けになっているインターネットのプロバイダと回線を提供する、そのカスタマーサポートだ。問合わせの半分はユーザーさんで、あとの半分は管理会社さん、不動産屋さんといったところか。おもに首都圏の高級マンション向けサービスだから、その入居者であるユーザーさんはいわゆるお金持ちが多く(実際芸能人やスポーツ選手なども多かった)、だからなのだろうか、クレームの数は少なかった。
 そう、技術的なサービスが要求されるテクニカルサポートならいざ知らず、僕が所属した当時のセンターは圧倒的に働きやすい職場だったのだ。
 ただ、カスタマーサポートだって契約やお金に関係する以上、苦情がまったくないワケではない。「金持ち喧嘩せず」などとんでもない話で「そうか、カネに細かいから金持ちになったのか」と思わず納得してしまうくらいにうるさいユーザーさんがいたのも事実。やっぱりコールセンターはコールセンターなのだ。

 とにかく僕はそのセンターで3年近く働かせていただいたが、あるときお酒による失敗で退職を余儀なくされることになる(詳しく書くと恐ろしく長くなるので今回は省きますが、興味のある方は前ブログ「ソラヲアオグ ~酔いどれ天使のアル中入院日記~」をじっくり読んでくださいませ。ドン引きしないでね)。そしてその翌年から、今度は大手住宅設備メーカー、はっきり書くけど要するにトイレだのキッチンだのユニットバスだの、水周り製品の修理受付窓口のオペレーターとして再び、コールセンターにお世話になることになった。そしてこの職場で、コールセンター業務のしんどさを嫌というほど思い知らされることになる。

 そこは皆さんが想像するであろう「超」がつくほどのマンモスセンターで、主婦(たぶん)のパートさんが多かった。インセンティブみたいな制度もあって(僕は逆に萎えます)、応対品質よりも後処理のスピードや件数が求められる。待ち呼のランプが狂ったようにセンターのそこかしこで点滅し、そのたびにフロアの管理者さんが「いま○名様お待ちですよー!!」と大声を張り上げて周知する。今まさに人が死ぬんじゃなかろうかという切羽詰まった雰囲気だ。
 僕はそのフロアに、いったいどれだけのスタッフがいて、それぞれどんな顔をしていて何という名前なのか知る由もなかった。だから受話器(正確にはヘッドセットか)の向こうでお客さんから「○○さんに代わってください」とお願いされてもモタモタすることが多々あった。もちろんPCのファイルには名前と部署、内線番号が書かれた座席表があるにはある。だが例えば「サトウさんお願いします」「さっきのタナカさん」などと言われてもあーた、サトウさんだってタナカさんだってうじゃうじゃいるのだ。僕もいちおう「サトウは数名おりまして…」などと弁明するものの、お客さんにしてみれば「知らねーよ」となりますがな。結局僕は、サトウ姓のスタッフの内線を片っ端から鳴らして尋ね回るという不毛な人探しをするのである。そこへ持ってきて、往々にして緊急性の高い故障修理というセンターの性質上、お客さんのイライラは一気に増幅し、それはクレームというかたちで見事に花火が打ち上がるのだ。
 一般的な想定問答に対応したマニュアルは数あれど、僕はこーゆう問題に真摯に取り組んだコールセンターを未だに知らない。

 2014年4月、僕は朝の通勤途中に市電の車内で意識を失って倒れた。過度のストレスと飲酒によるもので、札幌の旭山病院精神科、いわゆる「依存症病棟」で3ヶ月は回復治療と専門プログラムに専念するよう医師に説得され、見事人生初の入院となった。職場の上司に良くしていただき休職扱いで済んだため、退院後には職場復帰して更なる地獄を味わうハメになり、2015年11月をもって職場を依願退職、翌年から生活保護受給者という立場にとって代わることになった。
 それから6年後の昨2021年11月。
 僕は現在の職場に採用が決まり、現在に至っている。年齢こそ余計に重ねたうえ、資格や免許を持っていないこと、正社員経験がないことには変わりがなく、二度と行くもんかと決めたあのハローワーク(ただし今回は「みどりの窓口」での障害者雇用です。紛らわしいけど切符売り場とは関係ありません)で、自身で探して選んだおシゴトだ。ということは即ち、僕は「コールセンター」というあの修羅場に自ら進んで戻って来たことになる。さて、これはいったいどういうことなのか?

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 この拙いブログを読んでくださる数少ない方、早とちってはいけません。僕が現在働いているのは確かにコールセンターですが、そのおシゴトは電話を一切使わない業務なのです。
 さて。ずいぶんかかりましたが、ここまでが前置きです。本当に気の向いたときにしか更新していなかったもんで、現在の僕の職場環境を少しご説明しておこうと思ったらこんなに長文になってしまいました。ここから本題に入りますので、良かったら読んでやってくださいね。

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 彼は体調不良を訴え、その日会社を早退した。

 僕の職場は業務用エアコンや給湯器などの修理受付センターで、販売店さんなどからの修理受付や問合わせを担当する電話業務チームと、FAXで受信したデータを処理するFAXチームのふたつに大別される。僕はFAXチームの一員として毎日、マイデスクに置かれた2台のデスクトップPCと向き合いおシゴトをしているのだ。そんな職場の平日の朝は8時50分に全体朝礼、9時ちょうどにセンターの窓口業務が始まるのだが、18時の業務終了に際して終礼が行われることはない。
 フロアを統括するマネージャーからの通達でチームリーダーに「ちょっと今日だけ全体終礼があるそうなので、PCをシャットダウンしたあとも皆さん残っていてください」と言われたのは7月28日、木曜日の夕方のことだった。「何だろう」と思ったが、それが行われるという17時半になってもマネージャーは現れず、一向に終礼など始まらない。電話チームのブースからはこの時間も忙しなく、お客さんとやり取りする声が聞こえてくる。そりゃそうだ、まだ窓口は受付中だもんね。18時を回ってようやく電話チームのほうも落ち着いてきた頃、セキュリティロックされたフロアの入口からマネージャーが足早に入って来た。僕が契約している会社は、ほかのクライアントさんによるプロジェクトも進めており、このビルにはそのためのフロアもある。このマネージャーはそんなフロアの統括も兼ねているため、いつも行ったり来たりと忙しそうだ。

「えーお待たせしました。皆さんに残っていただいたということで、既にお察しかもしれませんが…」
 マネージャーが声を張り上げて周知するが、僕はてんでお察ししていない。このフロアはチームごとに各々の座席が決められているが、特に間仕切りで両チームを隔てているワケではなく、そういう意味では管理者の誰かが全員に周知をするときは1回で済むので効率的だ。もちろん個々の座席のあいだは感染症対策として仕切りが設けられているけれど(アクリルは高価なので、おそらくプラスチックか何かだろう)、それも透明なモノなので息苦しさは感じない。
「非常に残念ですが、このフロアからコロナの陽性者が出ました」

 なるほどそうゆうコトか。ついに来たか、来てしまったか。
 コールセンターというのは当然ながら、その窓口の営業時間は常にオペレーターが勤務して顧客対応をしている。そういう職場でクラスターなどが発生すると、それは即座におシゴトが立ち行かなくなることを意味するワケだ。そのため感染症対策はこれ以上ないほど徹底しており、手指消毒や検温は当たり前、フロア内に設置された加湿器などは一定の湿度に下がると「危険ナ湿度デス」とこちらがギョッとするような音声で無感情にお知らせしてくるほどだ。
 けれども結局、肉眼では見えない敵を相手にしている人間がウイルスの脅威に対抗するには限界があるというもの。いつ、誰が、どこで感染しようともそれは「仕方がないこと」で、重要なのはこれからどうするかだ。ほかのみんなと同様、僕は黙ってマネージャーの話の続きを待った。
「これから業者を呼んで、このフロアの消毒をしてもらいます。なので皆さん、紙のファイルなど濡れて困るものはデスクに置いたまま帰らないようお願いします」
 今やペーパーレス推進社会。特にコールセンターという個人情報満載のおシゴトには、高いコンプライアンスが求められる時代だ。もともとデスクには最低限の資料しか置いてはいけないルールになっているし(基本的に情報はすべてPC内のファイルで共有する)、私物の持ち込みは厳禁なのだから、これについてはあくまで形式的な周知なのだろう。問題は次、マネージャーから僕らスタッフへの指示だ。
 僕は明日7月29日金曜から8月1日の月曜まで、土日を挟んでたまたま4連休のシフトだった。30日にはこれまでお世話になっている演劇集団「座・れら」さんの舞台『アンネの日記』が始まる。お芝居の業界でもコロナ陽性者が出れば公演は中止となるワケだし、実際僕の周辺ではそんな事態になってしまった劇団さんも少なからずあった。僕は万が一のことも考え「早めに伺っておいたほうがいいだろう」と、初日の公演を観劇するつもりでチケットを押さえていた。つまり明後日30日の土曜日は、外出する予定でいたのだ。

「くれぐれも皆さん、何かあったら躊躇なく迅速に会社へ連絡してください。以上です」
 …え、それだけ? 何の指示もないの?
 拍子抜けはしたものの、僕だってプライベートな時間をあれこれ指図されるいわれはない。みんなオトナなんだし、自己責任で行動しなさいというコトですね。ただ…。
 いそいそと帰り支度をしながら、僕はチームリーダーにいちおう念を押した。
「僕、明日から連休なんですけど…。何かあれば連絡くださいね」

 「何かあれば会社へ連絡を」というマネージャーの周知に、こちらも「何かあれば僕に連絡ください」と返すパラドックス。でも僕だってこのフロアの一員なのだから、それも当然でしょ。
 「分かりました」というリーダーも、どうやらこの周知を僕らと同じタイミングで知ったようだ。いささか心許ない気がしたが、それでもこれは重要なことなのだ。
 この日、僕の隣のデスクのTさんが欠勤していた。Tさんは昨日のお昼に体調不良で早退しており、それから今日の欠勤に至っている。僕がマネージャーの話を聴いてまず頭をよぎったのは、この「陽性者」なる人がTさんである可能性だった。
「…ひょっとするとオレは、濃厚接触者かもしれないぞ」
 もしそうなら、僕が明後日にお芝居を観に行くなんてもってのほかだ。それどころか僕だって、もう感染してしまっているかもしれない。幸い明日から4連休、れらさんの公演千秋楽は8月7日だ。
 さて、僕は何をすべきなのだろう。

 「札幌演劇シーズン2022年夏」の参加作品で「座・れら」第18回公演でもある『アンネの日記』。今回この作品で共同演出を務められている鈴木喜三夫さんは、何と御年90歳(これは公演チラシにも書かれているのでオープンにして構わないと判断しました)。ご本人は「もう引退したのに、現場に引っ張り出されたよ」とご謙遜されていたが、まだまだご活躍していただきたい北海道演劇界の大先輩だ。ただご高齢であることには違いないワケで、劇場の受付で僕がお会いする可能性はじゅうぶん考えられる。というかぜひご挨拶したいと思っていた。
 でももし僕が濃厚接触者、或いは新型コロナウイルスの感染者だったら。
 僕は公演制作担当の方にLINEで簡単に状況をお伝えし、とりあえず土曜の観劇をキャンセルした。まずはPCR検査を受けて、結果が陰性であれば改めて別の日に伺うことにしよう。何にせよ現時点で、不特定多数のお客さんが集まる劇場へ、不特定多数の人が利用する公共交通機関を使ってのこのこ出向くワケにはいかないでしょうがに。

 翌29日金曜。僕は午前中、念のため会社へ電話してもう一度確認をした。
「休みのあいだに私用があるんでPCR検査を受けようと思うんですが、会社から何か指示は出てますか?」
「特に出てないけど…、工藤さんは濃厚接触者じゃないんでないの?」
 年輩のSV、Fさんの呑気な反応に、僕はもどかしくなってしまった。ま、僕が自分の意志でPCR検査を受けるのは、別に会社から指示を待つという類のものではない。そこで僕は自宅から最も近いPCR検査場を調べて自転車で赴き、その日のうちに唾液検査を行った。
 そこは民間の病院が運営する検査専用の出張所で、費用はもちろん無料。この際陰性証明(これは有料)は必要ないが、結果が出るまでやや日数がかかる。「検査当日を1日目として、土日を含め4日以内にメールまたはウェブサイトにログインして結果が確認できる」とのことなので、遅くとも8月1日の月曜中にははっきりする。4連休はどこへも出かけられなくなったが、陰性ならギリギリ火曜日からの出勤に差し支えないというワケだ。

 さて、あとは待つだけである。
 ところがだ。30日の土曜になって、僕は発熱した。37.6℃。正直驚いた、というか焦った。
 味覚は正常、でも当然カラダは熱っぽくダルさが半端ない。なのに咳も鼻水も全然出ていない。喉の痛みも呼吸の乱れもないが、下痢気味ではある。いろいろネットで調べてみても、いまいちよく分からない。そもそもこの新型コロナウイルス感染症というヤツはオミクロンだのBA.5だの、その変異株によっても症状が異なるし、ましてや感染しても無症状のケースがあると聞く。僕はワクチン接種を3回しているが、抗原検査はしていない。ワクチン接種済みでも感染することはあり得るし、PCR検査が陰性だとしても感染していないという100%の証明にはならないというではないか。
 さあ、こうなるともうワケが分からない。
 もともと僕の脳ミソはゴールデン・レトリバーにも劣るのでないかと勘ぐってはいたが、そこへ持ってきて37℃超えのアタマでは正常な判断などできないというものだ。
 日曜になっても37.6℃は変わらず。僕は日がな一日自宅のベッドで横になり、とにかく明日の検査結果を待った。

 月曜日。体温を測ると36.5℃まで熱は下がっていた。だが身体は相変わらず熱っぽく、ダルさも続いている。だいたいこの部屋は風通しが悪く、とにかく蒸し暑いのだ。熱中症にも気をつけねばならないと注意していたら、今度は頭痛がしてきた。
 夕方になった。検査結果の確認のためウェブサイトへログインしても「検査中」としか表示されず、メールも来ない。電話して聞いてみようとも思ったが、検査場で貰った案内には「検査後4日間はお電話でのお問合わせをお控えください」と書かれている。それほど電話が混み合ってるんだろうし、サイトが「検査中」なら電話で訊いたところで答えは同じだろう。このあたり、コールセンター経験のある僕にしてみれば「ムダに電話を混雑させる手助けをしてはいけない」と考えるのは至極当然のことなのだ。ここはやっぱり冷静に、検査結果が反映されるかメールが来るときを待つしかない。
 それにしてもだ。「待つ」という行為がこれほど過酷なものとは思わなかった。今の僕には、メロスが戻ることを信じてひたすら待つセリヌンティウスの気持ちがよく理解できる。それでも待つしかないのだ。

 午前0時を過ぎ、8月2日になった。今日は火曜、出勤の日だ。ところがおい、何度サイトにアクセスしても表示されるのは「検査中」の非情な3文字でしかない。メールも来ない。「待て待てー」。今度はこっちが突っ込んだ。わしゃノブか。結果出ないじゃん。こりゃいよいよ電話で訊かないと、という状況だけど今は夜中だし。僕はセリヌンティウスほど寛容ではない。寛容ではないが、どうすることもできない。
 朝までの時間がひたすら長く感じられた。かつてコールセンターの受信業務をしていた頃、帰宅しても翌朝になるのを拒絶するかのようにお酒を飲んだが、そういうときはあっという間に朝がやって来たものだ。それが今はどうだろう。まるで女の子がつかないキャバクラのようだ。いやもともとオレは独り暮らし、キャバクラなんぞに出かけてはいけない身の上なのだ。何が何だかもう、完全に混乱している。いやこれは混乱ではない。こうゆうのを「混沌」というのだ。

 それでも明けない夜はない。かくして朝はやって来た。
 朝はやって来たものの、肝心の検査結果は一向に来ないではないか。
 僕のマンションから会社までは通勤30分程度だ。朝礼前の「とりあえずタバコ」なんかを含めて逆算すると、8時10分には自宅を出なければならない。僕は着替えを済ませてそのときを待ったが、8時を過ぎてもウェブサイトは相変わらず「検査中」だ。メールも当然来ていない。
 さて、どうしたものだろう。熱が下がったにせよ、検査結果が出ていない以上出勤してよいものだろうか。といって、今この時間にオフィスへ電話をかけてもまだ誰も出社していないのは明らかだ。
 いろいろ思案したが、やっぱりこのまま自宅を出るのは無責任だと思ったので、8時半になるのを待って会社へ電話をかけた。この時点で遅刻は決定となったが、それもこれも致し方ないというものだ。ここはやっぱり、会社の指示を仰ごう。
 電話に出たのは若いSV、Nさんだった。僕は金曜にPCR検査に行ったこと、土日は発熱で寝込んでいたこと、熱は引いたが検査結果がまだ知らされていないことを手短に伝えた。
「…というワケなんで、僕はどうしたらいいでしょうか。これから出勤していいものかどうか決めあぐねているんです」
「うーん…。そうですか、分かりました。とりあえず確認して折り返しますので、そのまま待機しててもらえますか?」
 この「とりあえず確認」というのはコールセンターで頻繁に使われる常套手段なのだが、SVひとりの独断であーしろこーしろとも言えないのは理解できる。僕はおとなしく従うことにして電話を切った。
 10数分後、僕のスマホが鳴った。Nさんからだった。こうなるとやはり検査結果が出るまで待機というコトになるのだろう。今日の欠勤は致し方ないと覚悟を決めて電話に出る。
「お疲れさまです。あの…、もっかい確認なんですが、熱があったからPCR検査を受けたんですよね?」
「違います。検査を受けたのは金曜で、その時点で熱はありませんでした。発熱したのは土曜です」
「あ、そうなんですね。それでその…、検査を受けたのは管理者から指示があったからなんですか?」
「いえ違います」
 どうにも会話がズレている。僕はもう一度、コトの流れを時間軸に沿って説明した。
「…で、今に至ってます。あ、でも検査に行く前にいちおう会社に連絡しましたよ」
「そうなんですね。そのときは誰が対応したんですか?」
「Fさんです」
「そうですか…。で、Fさんからは何と言われたんですか?」
「何も言われてないですよ。さっきもお伝えしましたけど、僕はもともと土曜に用事があったし、その時点で熱がなかったとはいえ外出していいのか判断がつかなかったんです。ただ何にしても休み明けに普段通り出勤できるよう、やるべきコトをやろうと思っただけです」
「…分かりました。じゃあPCR検査は工藤さんの自己判断だったワケですね…」
 いったいNさんは僕に、何を確認したいのだろう。そんな疑問もさることながら、僕には何というか、電話の向こうから伝わる「どこか他人事」みたいな言い回しに苛立ちを覚え、本来言うべきではないのかもしれないひと言を付け加えた。
「あの、ぶっちゃけ僕、隣の席のTさんが陽性者なんだと思ったんです。水曜に体調不良で早退して、木曜は休んでたじゃないですか。それで自分が濃厚接触者になったのかと…」
 上席とのオフレコでの会話とはいえ、言ってしまったあとで後味の悪さを覚えた。コールセンターのオフィスという、いわば閉鎖空間でこういうことが起こると、何となく誰が陽性者なのかが気になるのは無理もない。自分も感染したのではないかと心配になるワケだし、そうすると迂闊な行動はできなくなる。でも今は言うまでもなく、誰がいつ、どこでウイルスに感染してもおかしくはない世の中だ。ここで「犯人探し」をしてもそれは無意味な行為で、重要なのはこれ以上感染を拡げないことに尽きる。でもだからこそ、自分が濃厚接触者にあたるのか、もしくは既に感染しているのか気になってしまうというジレンマ、そんな後味の悪さだ。
「ははは、そうだったんですね。いえ、分かりました」
 はははではない。この人は本当に分かってくれているのだろうか。
「もう一度確認して折り返します」
 うーむ、まだ待てというのか。けれどもまあそれも致し方ない。電話を切って、僕は更に待った。
 頭痛が酷くなってきた。頭痛といってもこめかみがズキズキするようなそれではなく、扁桃腺だろうか、首のあたり、特に後ろが腫れているような、そんな感じだ(実際僕はときどきそんな症状に見舞われることがある)。
 それから1時間ほど経っても、会社から連絡はなかった。メールも来ないし、ウェブサイトは相変わらず「検査中」だ。こうなるもう完全に僕は放置されているワケで、札幌というこの195万人都市で孤立する淋しい中年にほかならない。
 「そうだ、電話だ」
 僕は例のPCR検査お問合わせ窓口へ直接電話をかけて訊いてみることにした。検査からもう5日経ってるし、ここで電話せずいつ電話するというのだ。なぜ未だにメールも来ず放ったらかしにされているのか、場合によっては詰問してやるつもりでスマホを手にした。

 待たされるのは覚悟していた。15分くらいだったろうか。僕の応対をしてくれたその女性オペレーターさんは、既に憔悴しきっているのではと推察できるくらい、恐ろしく覇気がなかった。まあ何も覇気がありゃいいってものではないが、せめてもうちょっとは声を張ってもよかろうに。それほどこの窓口は問合わせでいっぱいなのだろう。
「あのー。先週金曜に検査を受けたんですけど、今日になってもまだ結果が出ないんです」
「申し訳ございません、それではお調べ致します」…。
 僕は問われるがまま名前だの生年月日だの検査IDだのを伝え、回答を待った。そしてしばらく保留にされたあと、にわかには信じられないことを告げられた。
「工藤様。工藤様の検体は再検査に回されております。そのため未だ結果が出ていない状況でございます」
 なぬう、再検査だと? それはもう、つまるところの「陽性」ってことじゃないの?
「再検査ってどういうことなんですか?」
「あの…、ですから再度の検査でございます」
 おい。そんな答えは小学生でもできるぞ。いまいち的を射ていないが、詳しく尋ねてみると要するにだ。「更に詳しい検査が必要なため別の部署に検体が回された、だから結果が判明するまではまだ時間がかかるが、それがいつになるかは現時点で分からない」という、何だかグレーなところを行ったり来たり浮遊している状態なんだそうな。もうさあ、陽性確定じゃん。

 電話を切り、今度は僕のほうから会社へ電話する。対応してくれたのは女性のSV、Sさんだった。関係ないけどこのSさんにしてもNさんにしても、さっきのPCR問合わせ窓口の女性にしても、みんな電話口ではこちらがドン引きするくらい元気がない印象を受ける。皆さんそんなにお疲れなのか、この国が心配になってきた。
「実はPCR検査の結果、まだ少しかかるみたいでして」
 僕は自分の検体が再検査となっていることをそのまま伝えた。
「そんなこんなでにっちもさっちもいかない状況なんですが…、出勤してもいいんでしょうかね?」
「ちょっとお待ちくださいね」
 電話がいったん保留された。この調子じゃ今日はもう出勤どころではないなあ…、などと思っていると、再びSさんの声が聞こえた。
「あの、会社としては来るなとも来いとも言えないですねえ」
「…」
 一瞬、おかしな間が空いた。先日通信障害で世間が大騒ぎになったばかりだが、電話という通信手段は、わずかな静寂も逃さずキャッチするものだ。いや、むしろそれは不気味な空白だ。
「PCR検査を受けたのはあくまで工藤さんの判断です。ですから欠勤してもお給料は出せないということになるんで…」
 は? お給料?
 話が一気に飛躍したぞ。今は給料が出るとか出ないとか言ってる場合じゃないでしょうがに。その刹那、先ほどのNさんのどこかぎくしゃくした口ぶりの理由が分かった。会社としては、そこが大事なワケなのね。僕がすべてをコロナのせいにして会社を休んで、そのうえ給料までちゃっかりいただいちゃおうと目論んでいるんだと、そう言いたいワケなのね。
 こちらのロジックも飛躍しているが、僕だって人間だ。いきなり給料の話を持ち出されて冷静さを失ってしまった。でももう止まらない、止められないのですよ。
「この際お給料はどうでもいいんです。僕がこのまま出勤していいかどうか、それを相談してるんです」
「ですから会社としては、来るなとも言えないし来いとも言えないという回答になります」
「じゃあ僕、今から出勤しますよ? それであとから僕が陽性だったって分かってもいいんですか?」
「いえ、いいとか悪いとかの話じゃないんです」
「それっておかしくありません?」
「そう言われても…。あくまで工藤さんの判断で検査を受けに行ったワケですから」
 これでは埒が明かない。それにこの空気は、極めて不穏だ。表情こそ見えないものの、電話の向こうでSさんが困惑している様子が明らかに伝わった。
「工藤さんちょっと…、もう少し待ってもらっていいですか?」
「分かりました」
 僕は再び待つことになった。さっきはエルガーの『愛の挨拶』が流れたが、今度は保留音すら鳴らない。ミュートにでもされたのか、完全な無音の時間が続く。管理者間で協議しているのだろうが、それにしても長い。
 僕は「厄介な契約社員」なのだろうか。昨年の11月来、こんな僕を拾っていただいた会社には感謝してもしきれない。だからこそ、決して有能ではないが業務でその気持ちをお返ししようと努力してきたつもりだった。一生とまではいかなくても、僕は絶対に自分から今のおシゴトを辞めようとは思わない。会社とも管理者とも、うまく付き合っていきたい。それなのに…。
 待たされるあいだ、僕は僕でアタマを冷やし、問題を整理していた。するべきコトは何か、言うべきコトは何か。何が優先で、何が優先じゃないのか。そんなコトを考えた。

「ああどうも、お疲れさんですー」
 Sさんに代わって話しかけてきたのは、Fさんだった。金曜日、PCR検査に行く前に電話したとき「工藤さんは濃厚接触者じゃないんでないの?」と言ったあのSVさんだった。NさんもSさんもお若いが、このFさんは数名いる管理者の中でもいちばん年長者だ。
「いやいや、大変だねえ。今は熱はないんだね?」
「はい、おかげさまで」
「それでさあ…、さっきSさんからもあった通り、会社としてはやっぱり工藤さんの行動にあーしろこーしろとは言えないのよ。発熱したのはあくまで工藤さんなワケだし、自分の体調をいちばん把握してるのもやっぱり工藤さんなんだから」
「はあ…、ただ僕も判断できずにいるんです。今は平熱だから出勤しても、あとから陽性ってことになる可能性だってあるワケですから…」
「うんうんそこなんだよね。そこは工藤さんが判断できないように、ウチらも判断できないのさあ。…でね、これは提案なんだけど、やっぱりここは専門のお医者さんに判断を仰ぐほうがいいと思うんだよ。工藤さんって中央区だよね?」
「はい」
「オレもあの辺なんだけど、札幌南病院ってあったよね? 確かあそこで発熱外来やってたはず」
 果たしてそうゆうものだろうかとも思ったが、これ以上不毛な会話をするのもどうかしているし、何よりFさんからは、問題を穏便に解決させようという配慮が伺えた。
「分かりました。とりあえず相談してみます」
「うん、そうしてよ。それでどうするか、また連絡ちょうだい」

 ひと口に中央区といっても、それはそれで広い地域を指すのだが、中でも僕の自宅近くの電車通り付近は大病院が乱立する「病院銀座」だ。でも「札幌南病院」なんて近所にあったかな? …などと思いつつ、早速電話してみることにした。体温こそ平熱だが(それでも身体は火照っている)依然頭痛が酷く、こういうときはGoogleアシスタントの出番だ。持ち主が置かれた状況にもおおよそ無感情なそれは、僕に代わって電話をかけてくれた。
「はい、札幌南病院です」
「あの、ちょっとお伺いしたいんですけど、そちらで発熱外来はやってますか?」
「あー、申し訳ありません。当院ではやってないんです」
「え? やってると伺ったんですが…。えっと、そちら中央区ですよね?」
「いえ、ウチは南区です」
 なぬう。どうも頼りないなあFさんも。
「あの、ちょっと紛らわしいんですが、中島公園のほうに南札幌病院というのがありまして…」
 なぬう。紛らわしいどころではない。北じゃあないからといって何でも「南」とつければいいとゆうものでもなかろうに。僕はありがたい情報をいただいたことにお礼を言って電話を切り、そのままGoogleアシスタントで「南札幌病院」へ電話する。
「はい、南札幌病院です」
「あの、ちょっとお伺いしたいんですけど、そちらで発熱外来はやってますか?」
「あー、申し訳ありません。今日はもう予約でいっぱいでして」
 何だかデジャヴのようだが、答えは非情なものだった。
「すみません。実はですね…」
 僕はコトの経緯をごく手短に説明し、こういうときにはどこへ問い合わせたらいいものか尋ねてみた。電話口の男性は病院の事務員さんだったが、僕にしてみればもう藁にもすがる思いだ。適切なアドバイスを頂戴できるなら、この際事務員だろうが寿司職人だろうが誰でもいい。
「ああ、でしたらやっぱりその、保健所さんへ相談するのがよろしいかと…。先生も結局、そういったケースで指示を出すことはできませんから」
 なるほどそれもそうか。さあ今度は札幌市の保健所だ。もうGoogleアシスタント大活躍だったが、保健所に電話するとガイダンス操作を求められたので、ここからは手作業となる(といっても数字を選ぶだけだけど)。
 ピ、ポ、パ…、と案内に従ってキーパッドの番号に触れる。コロナウイルス関連の案内の中で、どんどん細かく選別されているみたいだ。と、ガイダンスが呼び出し音に変わった。やれやれ、これでやっと専門家の指示を仰げるのか…。
「ただ今、大変電話が混み合っております。恐れ入りますが、しばらく経ってからおかけ直しください。プー」
 おい、強制的に切れんのかよ! ここは普通おかけ直しか「待て」じゃないのか。待つんなら待つよ、もうパブロフの犬以上によだれ垂らして待ちますがな。それが切れてしまうとは。
 一気に不安が増幅する。頭痛が半端ない。ベッドで横になっているあいだは、凍らせた保冷剤をタオルにくるんで枕に乗せて冷やしていたが、まったく効いていないようだ。
 
 ちょうどいいタイミングで、友人からのLINE電話が鳴った。その友人は前述したコールセンター(最初のほう)で同期入社だった女性で、僕がお酒による失敗で退職したあともちょくちょく食事に行ってくれる、札幌でも数少ない友人のひとりだ。最近彼女は原因不明の体調不良に悩まされており、僕は旭山病院でお世話になっている主治医の先生を紹介したという経緯がある。残念ながら未だに彼女のコンディションは回復していないが、僕は土曜日に発熱したとき「これはひょっとしたらひょっとするかも」と思って彼女にLINEで症状を伝えていた。決して大袈裟ではなく、これが最期の連絡になるかもしれないと思ったのだ。
「熱、どうなったの?」
 彼女は自分のことを差し置いて、僕を心配してくれた。
「下がったけど頭痛が酷くて…」
「え? 大丈夫?」
「保冷剤凍らせて冷やしてるよ、首の後ろ」
「あ、それやめたほうがいいよ。原因分からないなら冷やし過ぎも良くないから」
「そうなの?」
 生半可な知識しか持ち合わせていないと、逆効果のことをしてまいがちだから厄介だ。コトはもう会社へ行く行かないという話ではなくなってきたぞ。
「とにかく病院に行ったほうがいいよ。頭はホント、ヤバいから」
「うん。保健所もつながらないし、やっぱり病院しかないか…」

 さて、いよいよどうしたものか。
 #7119。
 これはもう、最後の手段だ。いや正確には「本当に最後の手段」であるところの119番にかけるかどうか判断に迷うとき、症状を聞いてアドバイスしてくれるのが#7119という番号なのだ(これは全国共通ダイヤルではありません。詳しくお知りになりたい方は厚生労働省のページをご覧ください)。
「ちょっと#7119に相談してみるよ」
 そう言ってLINE電話を切ると、僕は迷わず#7119をプッシュした。もう「待たされること」には慣れた。待つこと10数分、その間僕はこれまでのコト、これからのコトを少し考えてみた。
 金曜日に自己判断でPCR検査に行ったこと。それは問題ないと思う。お芝居の公演をキャンセルしたことも間違っていないはずだ。では何がこのモヤモヤの原因なのだろう。それは僕が会社に指示を仰いだこと…、いや厳密にいえば「会社から指示があるのが当然だと思ったこと」。ところが会社からこれといった指示もないまま、僕は4連休に入ってしまった。今日になって会社へ連絡したら、すべては自己責任というような印象を受け、指示どころかいきなり給料の話をされたので無性に腹が立ってしまった。実際一連の対応はFさん、Nさん、SさんというSVさんによるものであり、さらに上席であるマネージャーと僕は一切話していない。僕が釈然としない理由はそこにもある。
 会社としては「来るなとも来いとも言えない」とのことだったが、僕の選択としてベターなのはどちらなのだろう。新型コロナ感染症の問題で世界中が大騒ぎになって以来、僕は「感染する」ことよりも「感染させる」ことを恐れていた。エレベーターのボタンを押すことさえためらってしまう具合だ(僕のマンションの部屋は2階なので、極力階段を使うことにしている)。まだ生活保護の身だった僕が、極端に卑屈になっているのは否めない。どんなに気をつけようが、僕はもうとっくに誰かを感染させているかもしれないし、かと言って証明することなど不可能なのだという理屈も分かる。
 でもやっぱり、検査結果が出ていない現時点で出勤するのは無責任じゃないのか。少なくとも僕はそう考える。僕以外の人がそう思わないからといって、僕はその人を非難する気には毛頭なれない。けれども僕は僕自身の行動として、そう選択することがベターだと思うに至った。
 でも、これも詭弁なんだろうな。
 だってこのままずっと検査結果が出なかったら、僕は明日も明後日も出勤できないということになる。出勤できなければSさんの言う通り、そのぶん給料はいただけない。それは生活するうえで困るワケだから、現実を考えれば出勤せざるを得なくなるに違いない。だから詭弁とも思えるのだ。ただ出勤したところで僕は、何知らぬフリをしていつものように仕事ができるのだろうか。
 いずれにせよ、これはもう「会社の指示」云々ではない。そういう意味では、会社に指示を仰いだり判断をしてもらおうというのは、それこそ無責任というものだ。

 #7119では、女性の看護師さんが対応してくれた。当然、僕が会社へ行って良いとか悪いとかの話ではない。僕の頭痛の症状をひとしきりヒアリングし、脳神経外科を受診すること、MRI検査を受けることをアドバイスしてくれた。耐えられないほどの痛みなら躊躇せず救急車を呼ぶべきだとも言ってくれた。
 電話を切った。メールが届いた。それは僕のPCR検査の結果が「陰性」というお知らせメールだった。

 僕は取り急ぎ、前述の友人にLINEで結果を伝えた。発熱のことは兄にも知らせていたため、仕事中の兄にもLINEを送ったところ、数分もしないうちに電話がかかって来た。僕はこの数日間、多くの人に心配と迷惑をかけていたことを思い知ったのだ。

     *     *     *     

 僕が検査結果を会社へ伝えたのは、その日の夕方になってからでした。陰性結果を知らせるメールが届いたのは2日火曜のお昼前でしたが、すぐに結果を報告して午後から出勤、という気分にはとてもなれなかったからです。メンタルに左右されていたのか、頭痛も少し治まりました。ただこの際いちおうきちんと検査したほうがいいと思い、#7119でアドバイスされた通り翌3日の早朝、近所の総合病院の脳神経外科で受診とMRI検査をしてもらい、異常なしとの診断をいただきました。

 今回のドタバタは、いくつかの出来事が悪いタイミングで偶然重なったという面はありますが、結果的には僕がひとりで大騒ぎしていただけなのでしょう。兄からは、
「そもそも何でお前、PCR検査に行ったのをバカ正直に会社に言ったんだ?」
 と逆に質問されてしまいました。僕としては、万が一自分が陽性だった場合は会社にとんでもない迷惑をかけることになる、と考えた結果なのですが、もともと僕は濃厚接触者ではなかったようです。会社を早退、欠勤したTさんを「感染者じゃないか」と疑ったのは完全に僕の思い込み、早とちりでした(現在彼は元気に出勤しております)。
 職場でウイルス感染者が出てしまったことを最初に周知したマネージャーが一切対応してくれなかったことに、当初は納得がいっていませんでしたが、単純にあの日あのフロアにいなかっただけだと考えたほうが自然です(現にマネージャーは忙しいようで、終礼のあった7月28日を最後に、この記事を書いている本日8月13日現在まで僕は一度も顔を合わせていません)。
 また会社側から特別な指示がなかったことは、やはり僕が「濃厚接触者ではない」という証左でもあります。実際今回ウイルス感染された方と物理的に近しい距離で業務をされていた方には何らかの指示があった可能性がありますし、それは僕の知り得るところではありません。ただそれならそれで「保健所から濃厚接触者と認定された方には既に指示を出しています」とはっきり仰っていただきたかったという思いがないワケではありませんが、それがプライバシーの侵害や無意味な犯人探しにつながってしまう危険を伴うことも理解できます。これはとてもデリケートで、かつ難しい問題だと思います。
 ただ今回のことで、僕は新型コロナウイルス感染症がもたらすもうひとつの怖さを知りました。それは「不信感」という、人間のココロの隙間に入り込む厄介な代物です。

PCR検査。

 このブログで僕は自分の素性を明かしております。ですから今回、そんな僕が働く職場での出来事を書いていいものか悩みましたが、特定の人や団体を誹謗中傷する意図がないこと、またこのブログが読者の少ないマイナーな媒体であることを鑑み、書かせていただきました。
 さて。僕はいちおう本日現在コロナウイルスに感染しておらず、また脳の血管に異常がないことははっきりしましたが、体調が芳しくありません。ということで再来週の23日、ついに胃の内視鏡検査を受けることになりました。人生初の胃カメラ、それについてはまたご報告しますね。



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2022-08-10(Wed)
 

弦巻楽団演出ワークショップに参加して。

 年に数回、どうしようもなく文章が書きたくなることがあります。といっても僕の場合、劇作や小説の類ではなく、ただの「うだうだした文章」です。そんな自分を「年に数回どうしようもなく文章をうだうだ書きたくなる病」と何のひねりもなく呼んでいる昨今でございます。
 ただこれから書くことは「うだうだした文章」では余りに失礼なので、真面目に書きますね。

 えっと、前回の記事が昨年11月ですか。皆さん明けましておめでとうございます。
 いろいろありましたが、2022年8月現在のクドーでございます。早速本題に入りますが、去る7月23日土曜日、札幌の劇団「弦巻楽団」さんの代表、弦巻啓太さんによる「演出ワークショップ(以下WS)」なるものに参加してまいりました。舞台役者たるもの、オファーがないときこその自主的な勉強でございます。偉いなオレ。偉いのかオレ?
 実際僕は大阪時代、これまでに何度かおおよそ「演劇」とか「お芝居」とか呼ばれる表現の演出を担当したことがあります。その大半が残念な結果に終わりましたが、最後まで付き合ってくださったスタッフさんや役者さんがいらっしゃる以上、そのへんはまあここではほじくり返さないことにします。ただ今後も舞台に立つかもしれない、立ちたい、いや立つ気満々のこの不器用な役者がこれからも表現活動をするにあたって、何かその、演出のメソッドというか、役者としての気に入られ方…、いや演出家への取り成し方…、いや単に楽な方法…、いやいや「演劇とは何ぞや? 舞台づくりとは何ぞや?」という高尚なお勉強がしたかったワケです。

 たぶん大目に見てくれるのでプライバシー無視で書きますが、僕は劇作家・演出家の弦巻啓太さんとは同い年です。僕は彼(と呼ばせてください)と違って高校演劇こそ経験していませんが、人生で初めて劇団なるものを旗上げしたのも同じ頃、それなりにそれぞれのフィールド(彼は北海道、僕は大阪)で演劇人として多くの先輩諸氏に取り入って抱かれた(嘘です)のも同時期。なのに人生何が分岐点になるか分かりませんねえ、彼は今や一般社団法人弦巻楽団の代表理事、僕はアルコール依存症のダメ人間からようやく抜け出したというこの格差でございます。ただ「お芝居という作品づくり」への情熱は、表面的な温度差はあれどそれは性格的なモノであって、おおよそ違いはないと勝手に思っております。

 僕は自身のアルコール依存症のリハビリとして旭山病院デイケア通所中の2017年、主治医の強い勧めでお芝居の世界に復帰しようと目論みました。ただ18歳で大阪に出て行ってから、札幌の実家に逃げ帰った2010年までの「空白の16年間」があり、その間に地下鉄南北線の霊園前駅は南平岸と名を変え、東西線は宮の沢まで延伸し、東豊線も福住まで伸びた挙げ句に日本ハムがやって来るという札幌の変わりよう。僕はいわば浦島太郎状態だったワケで、この地の演劇事情がどうなっているのか全く見当もつかない状態でした。そこへ持って来て、当時(というか現在もやっておりますが)「演技講座」なるものをされていた弦巻楽団さんの講座受講生として、学生さんらに混じって臆面もなく発表公演に出演させていただきました。「1年間は続けよう」と決心して弦巻さんのご指導をいただいたワケですが、弦巻楽団さんは当然劇団さんですからその間も「本公演」なる作品を上演されるんですね。で、普段お芝居を観るのが苦手な歪んだ性格の僕(舞台上の役者さんに嫉妬するから)も本公演をいくつか拝見しました。最初に拝見した本公演は冬の教育文化会館で上演された『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』だったと記憶しておりますが、非常に楽しいウェルメイドなコメディでした。その後も何作品か拝見しましたが(昨年の『死にたいヤツら』の感想拙文は前回記事に書いております)、僕はもちろん本公演の稽古場にお邪魔したことはありません。ただ講座公演に出演された役者さん(いわゆる客演さんだったのかな?)が本公演の舞台で活躍されておられる姿も拝見しましたし、講座公演の稽古場で弦巻さんの作品づくりにおける「考え方(正確には「講座公演の在り方」だと思います)」については嫌というほど張り付いて観察し、その結果、ふたつのことを思うに至りました。

①弦巻啓太という人は、本公演と講座公演を使い分けている。
②弦巻啓太という人は、少なくとも僕とは違った、何を考えているのかよく分からない人である。

 本当はもうひとつ「③弦巻啓太という人は、工藤康司という役者を本公演では絶対に起用しない」という非常に残念な発見もあったのですが、それはまあ置いといて、①についてはまず納得です。演技講座では講師と受講生という関係性がありますし、当然ながら弦巻楽団さんは受講生から受講料を受け取って作品発表というフィールドを提供するワケですから「もっと声出せこの野郎!」などと受講生である出演者を罵倒したりすることはまずありません。では本公演ではそんなコトがある人なのだろうか、と考えると必然的に②に至った経緯があります。

 前述の通り、弦巻さんという方は僕と同い年です。けれども僕がアルコールに溺れたのとは対照的に、彼はお酒が飲めません。タバコも吸いませんしご結婚もされています。いっぽう僕はその真逆で、タバコは数年前にようやく「わかば」から電子タバコに変えた程度、女性にもだらしないクズ男です。その僕からすれば、弦巻さんという人は「一体何が面白くてお芝居なんかしてるのだろうか」と考えるに至ったワケです。本当に謎でした。
 世間がいわゆる「コロナ禍」になってから、恥ずかしながら僕はYouTubeなんぞで音声のみの落語配信を始めました。僕自身、実際に上方落語の非常に愛すべき、とある噺家さんに弟子入りを直訴したことがあるほど落語好きなのですが、その「コロナ禍」のもとで不定期に、お芝居をはじめとする様々な表現者さんに「アフタートークゲスト」としてお電話でお話を伺う回があり、そんなコーナーに弦巻さんにロハでご出演いただきました(→『酔いどれ天使の「こんな噺でよろしけりゃ。」vol.53『寝床』をお聴きくださいませ。落語の部分は飛ばしていただいて結構ですから)。編集してアップした内容は実際にお話ししたうちの1/5程度で、使えない話題もありましたが、気がつけばあっという間の2時間でした。で、そこでようやく気がついたコトなんですが、僕は弦巻啓太という人を一方的に、天性の才能を持った、いわば勝ち組の偉い人なんだと勘違いしていたんです。僕は弦巻さんが現在のお立場になって初めてお会いしたのでそう思い込んだのかもしれませんが、ここに至るまでのプロセスをすっ飛ばしていたんです。
「クドーさんは中学時代、やっぱり好きな女子にカセットテープとかプレゼントしました?」
 …しましたがな。1950年代のオールディーズやドゥーワップが昔から好きだった僕は映画『アメリカン・グラフィティ』とか『スタンド・バイ・ミー』のサントラからCDラジカセでヘタなベストアルバムテープなんぞ作りましたがな!
「弦巻さんもそうでしたか?」
「ええ、僕はレベッカとか。でも僕はクドーさんと違って女子に『頼まれて』作ったんですけどね」
 …何を勝ち誇ってんねや! んなもん似たようなもんやろがいな。

 何だこの人、オレと共通の感性持っとるやん。学校が同じだったら、一緒に演劇部やっとったかもしれんな。あ、でも学年じゃオレのほうがひとつ上だから、もしそのとき出会ってたらこの人一生オレに敬語でオレは一生この人に先輩面できたんだろうな。
 1対1で初めてゆっくりお話ししたら、実に温厚で、それでいてロジックに長けており、決して人を罵倒したりしないけれども秘めたる情熱をお持ちの方なんだなあ、と改めて感じて、何だか無性に嬉しく、そして同時に楽しくなっちゃいました。
そういえば、肝心の演出WS、というか演技講座の頃から聞いていましたが、札幌のとある若い舞台役者・Eさんのことを、弦巻さんは「何もないとこでコケられる稀有な人」とベタ褒めしていらっしゃいました。僕はドリフ後期ど真ん中世代(ややこしいな。まあそれを言うなら弦巻さんも同世代か)なもんで、在りし日の加藤茶さんがコントで魅せる「ワンモーションでのコケ」が大好きなんです。チャップリンがオールドフィルムで魅せる動きに近いコトを、1秒24コマの現代のフィルムやVTRで演るあの「体技」が好きで、何度も研究したものです。
 もともと僕はいかりや長介さん、ハナ肇さん、由利徹さん、小松政夫さん、フランキー堺さん、渥美清さん(亡くなった人ばかりやな。ご健在の方だと財津一郎さん、伊東四朗さん、イッセー尾形さん)など「コメディアンとしてのペーソスを持った俳優さん」が大好きで「役者として目指すところは?」と問われれば、迷わずそういう境域と答えます。渥美さんなどはお若い頃に肺結核で死にかけたそうですし、イッセーさんを除けば皆さん戦争を経験された世代の方たちですよね。そりゃ人間の生き死にを目の当たりにしてきたワケですから、そんな方が織りなす悲喜劇にはこっちも感情を揺さぶられます。もっとも僕もアル中で死にかけた体験を経て現在があるワケなので、この方々と一緒にしては怒られますが素質はあるのかも。

 文章が弦巻さん個人のことに偏ったかと思えば、僕が好きな役者さんの話とか、とにかく取っ散らかってごめんなさい。あとカッコ括りが多いのは僕の文章の癖です。
 で、とにかくそんな僕がWSの受講生、弦巻さんが講師として再び相対したワケですな。といっても僕の想像より遥かに多くの受講生さんがいらした中ですが(ほとんどが学生さんでした)。
 はい。ここからが重要なWSの感想なんですが、はっきりしたことは3つ。

①演出なんぞというもののメソッドは、人に教えられるものではない。
②演出なんぞというものは、結局人それぞれなのだ。
③それでもやっぱりお芝居という作品づくりは、僕にとっては楽しくて仕方がない。

 ①に関しては、この演出WSそのものを否定するという意味では決してありません。むしろ弦巻さんの演出家としての経験や考え方を伺うのは非常に楽しかったし、貴重でしたし、目からウロコでした。ただそんな弦巻さんが演出をされた弦巻楽団さんの作品を拝見して、ごめんなさい、正直退屈だった作品もありました。講座公演に関しても、これは以前にもこのブログで書きましたが、本公演に比べてクオリティーが劣るのは仕方がないにせよ、それとほぼ同等のチケット料金を設定することに違和感も感じます。もっともよその劇団さんのことですから物理的な事情があったり、そういう批判も承知の上なんでしょう。
 ただ、弦巻さんが「面白い」と思い仕上げた演出家としての作品を、必ずしも僕が「面白い」と思うかどうかはイコールではないのです。そういうことです。そんなことよりも、弦巻さんがWSの前に教材として観るよう提示された、弦巻さんご自身の演出による『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(津の「あけぼの座」でしたっけ?)と『センチメンタル』(こちらは札幌の「サンピアザ劇場」でしたね)、この両作品への思いの丈を自信を持ってお話しされたときのこの「自信」、言い換えれば「手応え」でしょうか。これがとても重要で、それは同時に現在の僕にとって完全に欠落したものなんです。それが非常に大切であり、そこにチケット料金の「価値」が存在するのだと気づかされました。

 余談ですが、『ラウンド~』はベッドふたつしかない、どう見てもいびつな部屋(ホテルの一室ならあの配置も理解できるのですが、あれが居住空間とはどうしても思えません。そのへんもポイントなのでしょう)で男性ふたりがあれやこれやするふたり芝居なのですが、僕はあの作品を拝見してまず「どうして後半の裁判のやり取りをベッドの上でやらなかったのだろう」と思いました。ふたり芝居のミザンスはとても難しく、ほぼほぼ役者の力量にかかっている、と役者の端くれの僕は思っていますし、それどころか正直ミザンスなどはどうでもいいのです(あくまで僕にはですが)。観客がいかに舞台上のキャラクターに感情移入できるか、そこが重要で、僕はベッドの上で行われる芝居とベッド上以外で演じられる芝居の違いに着目して「オレならこう演出するのに」と観ていたんです。…てか作品をご覧になっていないのにこの文章を読まれてる方にはさっぱり意味不明ですよね。でもここからこんな感じでもうちょっと続きますのであしからず。

 ただ。
 演出家の弦巻さんはそうじゃない。常にミザンスを意識されてお芝居の演出を考えられていたんですね。とっくにお気づきでしょうが、僕が言いたいのはその善し悪しなんかじゃなく「演出する人にとって180度違う作品になる。それがお芝居であり、だからこそ奥深く、そして面白い!」ということなのです。

 で、これは②につながります。芥川龍之介の短編小説『羅生門』を演劇にする、という課題を6~8人ずつの2チームに分かれて立体化していくんですが、ああいうときに誰がチームの音頭を取るのかも狙いなのでしょう。そして「人のアイデアを聴く」ということも大切になりますよね。正解を探すのではなく「誰が」「どうしたいのか」そして「そのためにどうすればいいのか」を探っていくプロセスが重要になるんだと率直に感じました。ほら、演技講座の作品づくり(現在はどうなのか存じ上げないので、あくまで僕が参加させていただいた当時の話ですよ)って、多くの受講生がすぐに「正解探し」をしたがっていませんでしたか? 仮に演出家が正解を持っている、或いは知っているとしても、演出家は正解を役者へアプローチすることが役割であろうがなかろうが、その問いかけじたいが正解か不正解かは問題ではないと僕は思うのです(これまたややこしい言い方ですみません)。では、本当に重要なことは何なのでしょうか? 僕は、その作品への最終的な全責任を引き受ける覚悟がないと、演出家など務まらないのだ、と理解しました。ひょっとしたら弦巻さん、演出WS受講生にそのことを気づいてもらいたかったんじゃないですか? というのは僕の邪推でしょうか。
 ただね、現場でも言いましたけど『センチメンタル』を観た直後に改めて『羅生門』を読む側のことも考えてくださいな。本当に残念な気分になりますし、弦巻さんが『センチメンタル』でおっしゃりたかったと思われる「時間の流れに人は抗えない、でもその果てに人は幸福を手に入れるのだ」というメッセージ、それ全否定したくなりますから(笑)

 そして最後の③です。
 ここまで書きましたから、これはもうあれこれ言うのが野暮でしょう。
 僕はやっぱりお芝居が好きなのです。

 そのことに気がついた、本当に貴重な時間でした。
 で、WSとは無関係にこの文章を読まれている方に後日談を。ホントは7月23日と翌24日の2日間のWSだったのに、僕はシゴトの問題でメンタルをやられて胃の病になっており、2日目は血便が止まらず欠席するハメに。まさかの結末でございます。
 ご迷惑をかけた受講生の皆さん、ご心配をおかけした弦巻さん、本当にごめんなさいでした。まだ病み上がりですが、シゴトの件は万事解決しましたので許してくださいませ!

 弦巻さん、劇団の方々、受講生の皆さん。
 たった1日、8時間ほどでしたが、本当にありがたい時間をいただいたことに感謝致します。
 そしてこの長ったらしい拙文をお読み方。
 僕は、表現の発信をするのも受信するのも、とても豊かなことだと信じています。
 もちろんお芝居だけじゃありません。映画も、絵画も、彫刻も、写真も、音楽も、文芸も、そのほかありとあらゆる表現には無限の可能性があると信じています。

 だってこんなクソ長い文章みたいに理屈をこねませんからね。
 まだまだ暑い夏です。皆さん、お身体にはくれぐれもご自愛くださいませ。



2022-08-05(Fri)
 

舞台『死にたいヤツら』『修学旅行』を観て。~そしてご報告。

 Facebookではご報告させていただきましたが、そちらに書いていないコトも含め、改めてご報告です。わたくし工藤康司45歳、このたび念願の事務職への採用が決まりまして、今月16日から新たな職場で新たな生活が始まりました。
 僕は大阪で演劇生活に浸かっていた頃から鬱病とアルコール依存症になり、実家のあった札幌へ逃げ戻り引き籠り生活を経て、これといった資格が必要ないコールセンターで働いたりもしましたが、やはり精神的に荒んだ根本的な問題が解決できないまま都合3回の精神科入院、その間に生活保護受給者となり、皆様の血税で「生かされて」おりました。退院後は病院のデイケアに3年、就労支援事業所(いわゆる「作業所」というところです)に3年通い、今回ようやく精神障害者枠で一般職の採用となった次第です。
 札幌へ戻って10年、そのうち6年が生保です。それは常に下を向いた、暗くやるせない日々でした。最愛の祖母が他界し、認知症の母が特養へ入り、そして父も旅立ち、実家を処分しました。時代は平成から令和に変わり、自分だけが何も変えられず取り残されていくような、焦りと不安の毎日でした。けれどもいまは病院の看護師さん、作業療法士さん、ワーカーさん、作業所のスタッフの方々、そして「社会復帰のための訓練にもなるから」と、8年も遠ざかっていた演劇活動、表現活動の再開を後押ししてくれた主治医の先生には感謝してもしきれません。また僕が舞台に立つことを喜び、応援し、励ましてくれた全国の友人、先輩、後輩がいてくれたことで、僕は決して孤独ではないのだと(人徳はないですけど)気づきました。更にこの札幌で、僕のような者と舞台表現にご一緒していただいたすべてのお芝居仲間の皆さんに、改めてお礼を言わせてください。本当にありがとうございました。

 僕の札幌でのお芝居活動再開にあたっては、当然僕ひとりの力ではどうすることもできないものでした。4年前のちょうどいま頃、何の予備知識もないままネットで見つけた「弦巻楽団」なる劇団さんの演技講座の門を叩き、恥も外聞もなく10代、20代の未来有望な皆さんと一緒に稽古に臨みました。「1年間は死にもの狂いで続ける」と心に決めてお世話になったこの講座では、代表である弦巻さん(僕と同い年です。つくづく自分が情けなくなりました)や劇団の皆さんをはじめ本当に多くの方のお世話になり、そして僕はその恩を仇で返すかのように毎度毎度本番で何かしら「やらかして」おりました。そういうワケで、1年で4作品(その他講座以外にリーディング公演もありました)に出演させていただき、演技講座を卒業したいまでも、僕が弦巻楽団さんの活動を応援させていただく(観に行くことしかできませんが)ことは僕なりのご恩返しでもあり、責任でもあると同時に、何よりも喜びなのです。

 前置きが長くなりましたが、そんなワケで行って参りましたよ。冬のサンピアザ劇場。てか僕にはこの劇場、出演するのも観に行くのも冬の景色の記憶しかないんですが、こりゃどーゆうことかね。まあそりゃいいんですが、『弦巻楽団 秋の大文化祭!』と銘打った今回の企画、千秋楽だった一昨日の日曜は11時と17時から演技講座の発表公演『修学旅行』、その間の14時からは劇団員による『死にたいヤツら』というタイトなスケジュール。僕は午前中は自身の稽古に参加して、そのあと14時、17時とサンピアザでの公演をハシゴすることにしました。
 ところが今朝、猛烈な頭痛に襲われて稽古に行けず。僕は先週も血便が出て生まれて初めて肛門科なるところへ行って直腸に内視鏡を挿入したばかりという、相変わらずセルフケアがなってない困ったさんなんですが、少し寝たら体調が戻って来たので新さっぽろまで東西線に揺られやって参りました、サンピアザ。というコトで観劇した2作品の感想を書いちゃいます。最初に断っておきますが、Twitterからわざわざこちらへ来てこの記事を読んでいるアナタはまず間違いなく今回の公演の関係者さんでしょう。ここは僕のブログで僕のホーム。だもんですからにやたらと上から目線で書きたい放題になるのを不愉快に思われるかもしれません。でもこれは、最近急速に記憶力の衰えを感じてならない僕自身への、ココロのメモとでもいうか、そんなもんです。と同時に自分の本番を来月迎えるにあたって僕が持ち帰ったお土産でもあります。あくまで僕が僕に言い聞かせている独りごとですんで、あんまりお気になさらないでくださいましね。

     *     *     *     

 いくら旧知の劇団さんとはいえ、自分がお客さんになるのに慣れない僕はいつも受付で緊張する「観劇ビギナー」だ。そんなときは見知った劇団員さんなぞに馴れ馴れしく声をかけたい衝動に駆られるが、それは迂闊というものだ。だって皆さん、お仕事中なんですから。
 客席が一席飛びになるのはこのご時世やむを得ないが、それでも前売りは完売と聞いていた。お客さんでいっぱいの劇場に、思わず心が小躍りする。「みんなー、お帰り! これからお芝居がはーじまーるよー!」と、部外者であることを忘れて叫びたくなった危ないヤツ。でもやっぱり、劇場の客席はこうでないと。

 で、まずはオールキャスト劇団員、弦巻啓太さんの脚本・演出『死にたいヤツら』を。弦巻楽団さんの「出世作」という情報以外はシャットダウンして観劇に臨む。
 舞台となるのは急死した日本文学教授の四十九日法要後のお宅。未亡人となった妻のもとへ弁護士を名乗る人物が現れ、夫が遺言を遺していたことを告げる。居合わせたのは妻のほか、その妹、家政婦、故人の同僚男性、故人の教え子の女性とその恋人。遺言には「2億円の遺産のすべてを愛人に譲る」とあるが、その愛人がいったい誰を指すのかは書かれていない。2億円を譲るという、妻も知らなかった遺言の内容が明らかにされるや否や、居合わせた人が次々に「自分こそ愛人」とカミングアウトし…。
 登場人物の視点によって事実の見方が変わってくるという、芥川龍之介の「藪の中」を思い出した。実際そのあと劇中で「藪の中ですね…」というセリフがあったため、弦巻さんもそのイメージをお持ちだったのかもしれないが、この作品はそれをコミカルに、分かりやすく描いたウェルメイドなシチュエーションコメディになっている。亡くなった大学教授が近松門左衛門の研究者だったことから、あちこちに近松作品のオマージュが入っているが、そういうことに詳しくないお客さんでもじゅうぶん楽しめるように構成されている配慮が伺える。でも、近松の作品やバックボーンを知っていたら面白さは格段に違うから、パンフレットに挟まれた説明書きではなく劇中でもう少し簡単に一連の近松作品を観客に明示したほうが良かったかなあ。近松作品をあまり知らない弁護士、という登場人物が既にいるのだからそこまで難しい作業ではないし、物語が堅苦しくなることもないように思えるのだが(敢えてそうしなかったのなら、パンフに紹介文を挿し込むこともしないと思うし)。
 とはいえ、絶妙なバランスで畳みかける可笑しさには感心を通り越して脱帽してしまう。『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』もそうだけど、僕は弦巻さんの書かれる戯曲ではこういう軽妙なやりとりが冴えた作品が好きだ。それもこれも単に、僕がそういうお芝居がやりたいからだけなんだけど。
 だからこそ、役者さんのお芝居にはもうひとつ高いレベルを求めてしまう。コーヒーは絶対ブラックで飲みそうな教え子の彼氏がミルクをねだったり、飼い犬についての説明だったり、誕生日のパーティーと言いながらパーティーにまるで見えなかったりとか、作家さんが随所に散りばめたオモシロどころをさらっとスルーしちゃうのがもったいない。でもそれは、役者さんひとりひとりにとても豊かなセンスを感じるから、つい欲しがってしまうのだ。そーゆう年頃なのだ僕は。

 今回未亡人を演じた柳田裕美さんは、演技講座で何度もご一緒させていただいた女優さん。今年から正式に劇団員となった方で、直接カラんだことはほぼないけれど、オトコっぽい役(もしくは男性役)を演じることの多い彼女がそうではない面を見せると「この人はひょっとしてひょっとするんじゃないか」と思っている。誠実で真面目な人柄がそのまま滲み出る方だが、こと役者さんにとってそれが必ずしも良いこととは限らない。だからこそ、感情をもっと開放(「解放」のほうが正解かも)して奔放な表現の引き出しを見つければ看板女優になると睨んでいたが、今日のお芝居でそれは確信に変わった。
 その柳田さんと対照的なのが、教え子役の相馬日奈さんの表現だ。僕が以前拝見した『ワンダー☆ランド』で、その役を演じているのが彼女だとしばらく気がつかなかったくらい引き出しの多い役者さんだ。チカラの入れ方と抜き方のバランスにとても長けた方で、この感覚は僕も舞台に立つ小者ながらいちばん大事にしているつもりなんですけど、彼女のようにはいかないものだ。相馬さんがこれを意図しているのかどうかは分からないが(意図してないことに2億円賭けます)、演出家としての弦巻さんは彼女をどう捉えているのか興味深いところだ。
 劇団員が増えたことで、すっかり古参メンバーのひとりとなったのが妹役の島田彩華さん。声量の弱さが気になってはいたけれど、彼女には「今どきの女子」のような立ち位置をいつでも演じられる珍しい個性がある気がする。例えば「とんでもなく怖いセリフをさらっと言ってのけ」て、それを笑いに昇華させられるというところだ。こういうのはなかなか訓練で手に入るものではない。稀有な女優さんだ。
 そして、主演もこなすバイプレイヤー、家政婦役の木村愛香音さんの放つ強烈なパーソナリティは弦巻楽団さんに欠かせない存在となっている。今回はもう貫録すら漂う落ち着いた演技で魅せてくれた。もしかしたら、自分が客観的にどう見えているのか想像しながら表現する術を手に入れたのかもしれない。僕は樹木希林さん、桃井かおりさん、片桐はいりさんといった「笑いと狂気の狭間で行ったり来たり」できる女優さんが大好きで、木村さんにはそうしたコメディエンヌとしての片鱗が伺える。ふだん素直過ぎるほど素直で温かい方なだけに、次回はほかの役者さんを押しのけてでも前面に出て来る貪欲な彼女が見てみたい。
 同僚役のイノッチさんとは講座公演とリーディング公演でご一緒しているが、こういう方は劇団で重宝されるのではなかろうか。何といっても圧倒的な存在感があるのだけれど、これはただそこにいればいいというものではない。イノッチさんがこれまで培ってこられた人生そのものが、表情や仕草、立ち居振る舞いに自然と凝縮されるのだ。そこへ持って来て天性の美声をお持ちなもんだからもうね、僕なんか足元にも及びませんよ、へえ。こういう方が大マジメにバカなことをやるから面白いのだ。
 そして、直接面識がないけれど客席から何度も拝見している方がおふたり。弁護士役の阿部邦彦さんは、スタンダードからアブノーマルまで幅広く演じられる方。大変失礼ながら、元来器用なタイプではなく、そのぶん努力を惜しまない方という印象を受けたが、実際はどうなのだろう。
 教え子の彼氏役の佐久間泉真さんは、阿部さんとは反対に器用な表現をされる方とお見受けした。今回の役はかなり無理のある設定、シチュエーションの連続だったが、それを違和感なく成立させてしまうところに驚いた。
 イノッチさん、阿部さん、佐久間さんという三者三様に異なるタイプの男優陣は、劇団にとって心強い、特に弦巻さんは本を書かれるうえで非常に頼もしく思われているのではないだろうか。僕は作家じゃないけど、100万歩間違って本を書くとしたら、まず間違いなくアテ書きしたくなるなあ。

 何か褒めちぎってる自分に気持ち悪くなったが、もちろん観客として「うーん」と思ってしまうところがあるのも事実だ。怒らないで読んでね。
 写実的な映像表現に比べて、抽象的な舞台の表現にはあまたの可能性がある。どれが正解というのももちろん存在しない。だからあくまで好き嫌いのハナシでしかないのだが、僕は舞台表現において、必要以上に役者が複数の役を演じるのは避けたほうが良いと思っているクチだ。物理的に「(それを演じる)人がいない」とかいう事情はあっても、役をかけ持ちすることのデメリットが大きい場合もあるからだ。デメリットといってもそれは単純なもので、お客さんに余計な混乱をさせてはいけないというファクターだ。
 かつて蜷川さん演出の『ハムレット』で、西岡徳馬さんがハムレットの父(亡霊)とその弟のクロ―ディアス(兄を殺害させた張本人)の二役を演じたが、それはそれで大きな意味を持っていた。もちろん敢えてそうしているのだ。余談だけど僕も弦巻楽団さんの演技講座で『ハムレット』の亡霊を演らせていただいたことがあるが、途中で完膚なきまでにセリフがすっ飛んだ。そのときはクローディアスは別の役者さんが演られていたが、さらに遡ること大阪で『マクベス』に出演したときは、後半に立ち回りの場面が続いた。このときいわゆるコロスとして「殺陣を演りたい人は出番がカブらなければ出ていいよー」と演出さんが許可したため、イングランド軍の重要人物を演じていた人がスコットランド軍の兵士になったり、その逆もあったりしてワケが分からなくなってしまった…、ように僕には思えた。つまり何が言いたいかというと、役をかけ持ちすることはそれなりに意味を持っている、と少しでも考える人が少なくとも少なくないと、少ない技量しか持たない僕は少ない脳ミソで少しだけ考えてしまうのだ。
 そう考えると、弁護士役の阿部さんが亡くなった教授の役をかけ持ちする(回想ではあるが)ことにどのような意味を持つのかが、ちょっと疑問に思えてしまう。弁護士がストーリーテラーとなって、終始弁護士の立場でそれぞれの主張を聞いてその光景を思い浮かべる、という物語の運びなら理解もできるが、そういう演出にはなっていない。また登場人物によって教授の人物像が異なって見えてくるという可笑しさがあるのだから、いっそのこと教授を登場させない、例えば「その場にいる体(てい)」で役者の芝居だけで魅せるというのはいかがだろうか。このあたりは演出的な工夫の可能性がいろいろ膨らんでくるなあと、演出家でもないのにあれこれ想像してしまった。

 僕は前回『異邦人の庭』の感想で、かつて自死を考えたこと、その結果「死ぬこととは生きることなり」という結論に至ったことを書いた。近松やその時代に生きた戯作者が美化した「心中」という破滅的行為を、この現代に持ってきてシニカルにあぶり出すという着想はユニークで、弦巻さんのセンスには感服するし、結末もありきたりなようでいて敢えて複雑化せず、亡くなった教授の人物像を観客それぞれがアタマの中で勝手に想像させたうえでそれを裏切りにかかる、という仕掛けには「そう来たか」と思わずにいられない。だからこそ、ラストシーンで弁護士が未亡人に語るセリフが必要だったかどうかは、判断の分かれるところだろう。僕は「そこまで語らせる必要はないのでは…」と思ったんだけれど。お芝居の表現は、観客が「もっと欲しがるぎりぎり直前」で見せないのが素敵じゃないの、というのが僕の持論だ。少なくとも今回の作品について言えば、阿部さんにそこまで語らせなくても観客にはもうすっかり届いているのだから。

 重たくなく、ちょうどいい腹持ちになったところで、夕方からの2本目に備え、物理的な腹ごしらえをして時間を潰す。観終わったばかりのお芝居を自分なりに反芻しながら何気なく中華屋さんに入り、何気なく担々麺と点心を食べて、気がついたらもう開演の時間が迫っていた。演技講座の受講生の皆さんの発表公演。前日には別のメンバーによる公演もあったようだけれど、僕は知らなかったので見逃してしまった。お芝居関係者の皆さん、公演の際は遠慮なく僕にご連絡をくださいまし。グループラインとかじゃなくて直接お誘いいただければ、親の死に目か核ミサイルでも飛んでこない限りほぼ間違いなく伺いますから。ということは、お誘いいただかないとまず間違いなく伺いません。悪しからず。
 ただし、弦巻楽団さんの演技講座だけは特別だ。理由は前述したように、この講座で多くの方にお世話になったという経緯があるし、何といっても僕は弦巻楽団演技講座の「卒業生」なのだ。まるで人徳がない僕には悲しいかな出演者の誰からも「観に来て」というお誘いがなかったもんだから(おい!)、これまで何度も講座でご一緒した出演者の方にこちらから「日曜日本番あんの?」と連絡して詳細を伺っていたのだ。
 演技講座の発表公演である以上、正直作品としてのクオリティーは本公演より劣ってしまう可能性は高い。けれども、伸びしろのある役者さんへの激励の思いも込めてこの日二度目の受付へ。先ほど本番楽日を終えたばかりの劇団員の方々がスタッフの顔になって動いている。イノッチさんに座席の誘導なんぞをされた折には「お疲れでしょアナタ、何ならあっしが場内係やりますから!」と申し訳なさ全開に心の中で絶叫しつつ、必死で平静を装い前のほうの座席に着き、開演となった。

 数多くの高校演劇作品を書かれている畑澤聖悟さん作『修学旅行』。青森から沖縄に訪れた高校生の、夜の女子部屋のやり取りを描いた作品。今回のキャストで僕がご一緒させていただいたことがあるのは(マチネとは役が変わるらしいが)生徒会長役の藤田恵未さん、漫研部員役の高橋友紀子さん、好きな女子に積極的な男子生徒(高校時代の自分を見ているようでした)役の伊藤優希さん、女生徒から憧れの的になる男子生徒役の吉井裕香さんの4名。存じ上げないメンバーが増えたなあと思いつつ、学業やお仕事と並行しながら舞台に立ち続けるかつての仲間が頼もしく見え、また嬉しくもあった。
 畑澤さんの戯曲をすべて読んだワケではないので知ったふうなことは書けないが、少なくともこの作品は物語しての振れ幅が小さく、これといった事件が起こるでもなし、ただありふれた、それでも僕のようなおじさんにはどこか懐かしくなる風景が描かれている。いわゆるコロナ禍で学校行事の自粛が続いたこの2年、修学旅行を大切な思い出として経験できなかった子たちがいる。僕にしてみれば修学旅行というビッグイベントがあったからこそ小中高と学校生活を送れたワケで、それが自粛になった日にゃあやりきれないを通り越してもう発狂ですよあなた。つまりそれは、修学旅行であーだこーだすることの悦び、ひいては「日常の豊かさ」そのものなのだ。沖縄の地で戦争体験を聞いた生徒たちは、そんなことに無関心な生徒、実感を持てない生徒、教師の気を引く模範解答をする生徒。そんなどこにでもいそうな17歳。彼女たちにとって何よりも大切なのは、好きな子への告白だったり、教師の好感度を上げることだったり、間近に迫るソフトボールの試合だったり…。けれどもそれは彼女や彼らにとっては本当に、本当に大切な「いま、この瞬間」なのだ。畑澤さんのつむぐ一見何気ない言葉のやり取りには、何よりも温かな眼差しが込められている。それはいま、まさにこの舞台上で表現をする若い役者さんたちの姿そのものではないか。
 セリフを噛む。言い間違える。妙な間ができる。動きが小さいかと思えば、余計な動きをする。粗を挙げればきりがない。
 でも、それでいいのだ。講座生の皆さんが、共演者を信じて、台本を信じて、互いにリスペクトし合い、最後列のお客さんに届けようと必死でそれぞれがそれぞれの表現をする。それが観客に伝われば、この講座でこの公演をやり切った価値が生まれるのだ。さぞかしみんな、疲れたんじゃなかろうか。でも気持ち良かったんじゃなかろうか。それが単なる自己満足の気持ち良さなのか、作品を創る苦悩の末に「豊かな何か」を手に入れた気持ち良さなのか。カーテンコールの拍手を聞けば、あれこれ言うほうがヤボってもんですわな。
 ラストシーン。「古今東西」のゲームで世界の国を言い合う高校生たち。カンボジア、イラク、ボスニア・ヘルツェゴビナ、シリア、チベット…。涙が出そうになった。修学旅行の夜のひととき、いまこの瞬間を謳歌する彼女たちにとって、それは表現を謳歌する役者の空間そのものだ。

     *     *     *     

 謝るくらいなら最初から書くなと言われそうですが、エラそうにだらだらとごめんなさい。でも、僕が感じたことを感じたままに書かせていただきました。皆さん、本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。僕は劇団の皆さん、講座生の皆さんの表現を拝見して、感じて、そして大切なお土産をいただきました。

弦巻楽団1 弦巻楽団2



2021-11-28(Sun)
 

舞台『異邦人の庭』を観て。

 もともと、お芝居の感想を書くのは苦手なんです。何せどこまで踏み込んで書いていいのかとか、その他オトナの事情とかいろいろありますよね。でも今回は諸事情で、劇場ではない場所での「ワンステージ特別公演」ということなので、多少ネタバレありでもちょっとツイートしてみよっかなー、なんて思っていたらあなた、来年も上演予定だって言うじゃないですか。なのでどうせならすっかり更新をご無沙汰しているブログにオトナの事情抜きで書いちゃいましょう、というワケで感想でございます。
 わざわざTwitterからこちらへ来て読まれるのはおそらく関係者の方だけでしょうが、それでも一応万が一ということがありますのでなるべく物語の核心的な部分には触れないようには心がけます。そのため何だかモヤっとした文章になるのは、「SNSにハッシュタグをつけて投稿しちゃってください」と前説で明言された町田さんに免じてご勘弁を。

     *     *     *     

 舞台は拘置所の面会室。そこは現在ではない、もう少し先の日本。「死にたい」という7人もの命を奪った死刑囚の女の指名で、支援会に加わったばかりの劇作家の男が面会に現れる。アクリル板越しに交わされる会話の中で、次第に浮き彫りになる事件の輪郭。生きること、死ぬことを徹底的に考えさせられる作品を観た。

 男には、自分の創作のために女を「取材したい」という思いがある。また女には、自ら罪を受け容れて「死にたい」という願望があり、ある理由でそれを叶えることのできる男にある条件を持ちかけ、ここに互いの利害が一致することになる。というワケで男の取材が始まり、事件の全貌から意外な真実が見えてくるのかと思いきや…。

 これがそうはならない。
 こういうシチュエーションでは、既に「あっち側」にいる死刑囚の女を取材する「こっち側」の男にまず感情移入させて、そこから予想外の展開が広がっていくのがセオリーなんじゃないかと勝手に思ったりする今日この頃だが、この作品でふたりのあいだで交わされる話題は事件とは直接関係のない他愛ないもので、そうせざるを得ない理由も描かれる。だから大きなアクションが突然勃発する、という筋書きにはならない。それだけに、演出も役者さんの演技も高いクオリティーが求められるよなあ…、などと他人事のように感じるもので、これは言い得て妙、そうなのだ。男も女もまるで「他人事のように」会話を交わす。だから観客、というか少なくとも僕は男にも女にも感情移入させられることなく、ただ客観的にふたりのやり取りを刑務官のようにじっと聞いているだけだ。
 ただ、女の「人間には死ぬ権利もあるはずだ」という主張に、僕は引っかかるものを感じた。

 僕はもう10年以上前、大阪で芝居をしていた頃にココロの病にかかり、そのとき本気で「自ら死ぬこと」を考えた。とはいえ痛いのや苦しいのがイヤなどうしようもない性分なもんだから、当時住んでいたマンションの一室に完全な目張りをして、川端康成のようにガス管でもくわえて眠るように死ねたらと思った程度で、当然実行はしなかった。その後故郷の札幌に戻ってからも病気は完治することなく、母が処方されていた眠剤をオーバードーズしたことはあったが、本気で死のうと思ったらそんな程度で死ねるはずもなく、現在性懲りもなく生きている次第だ。
 あるとき、完膚なきまでの鬱状態で「もう自分を大事に思っている人なんかひとりもいない」と思い込み、今度こそはと「誰にも迷惑をかけずに」死ぬ方法を真剣に考えた。
 僕はノーベル賞なんて獲ったことはないしこれから獲る予定もない。だからというワケじゃないがガス自殺なんてのはもってのほか、こんな危なくて近所迷惑な話はない。だいたい自宅で死ぬのがもうアウトだ。オーナーさんにも不動産屋さんにもとんでもない迷惑がかかる。いや、世界中のどこで死んでも大概そこは誰かの土地なのだ。「どうやって死ぬか」より「どこで死ぬか」が問題なのだ。誰だって自分の土地で死なれたら迷惑だ。じゃあ国有地で…。
 こらこら。俺の脳ミソは白子か。国有地ということはそこは税金で管理・整備されているワケだし、これだって迷惑な話じゃないか。よし、土地を買おう。土地ったってそのへんに2、3坪買ったってしょうがない。山だ。山を買って、その中で死のう。どうやって死ぬかは明快だ。モノを使ってはいけない。刃物でも薬でもロープでも、誰かがこしらえたモノには業界というのがあるものだ。ところがどうだ、人間何もしなければ勝手に死ぬではないか。空腹はあっても苦痛はない。たぶん。
 というワケで「自分で所有する山の奥深くで、何もせずに死ぬのを待つ」という完璧なプランが出来上がった。いずれ何かの拍子にひからびた僕を見つけた人が、僕を即身仏などとありがたがってくれればむしろ感謝されるのだ。こんな高尚な自殺はないぞ。よし、まずは山を買おう。そのためにはお金を貯めねば。そのために働かねば。一生懸命生きて、働かねば。

 人間、「死ぬこととは生きることとなり」。だけど「生きることは死ぬこと」とイコールではない。死ぬ権利があるかどうか云々は、安楽死の是非のようなテーマにもつながるだけに簡単に答えが出せるものではない。だからこそ、男が答えた「僕は、大切な人には生きていて欲しいと思います」という言葉に救いを貰ったような気がした。
 それにしても女は、なぜこんな難しい問題を「死ぬ権利がある」と断言できたのだろう。それが分かれば、女が「死にたい」と願う(本心かどうかはともかく)人を殺めた本当の理由も明らかになるのだが、残念ながら女にはそれができない。それができない事情があるのだ。だからその点については最後まで明確にされておらず「ひいては失われた命の重み」について直接的に描かれるやり取りはない。その点が個人的に、物足りなさを否めない部分があることはある。でもこの作品で描かれる本質はそこではないことに、やがて気づかされた。女は罪を認めて死を受け容れることで、自身の犯した過ちと向き合うことを放棄しているに過ぎないのではないか。だとすれば、女が言い放つ「死ぬ権利がある」は詭弁で、それでも虚勢を張る姿は差し迫った死の恐怖に怯える憐れな犯罪者だ。

 今回、舞台(といっても劇場ではないけど)は客席を両サイドに配し、中央にアクティングエリア(といってもアクリル板の間仕切りと椅子だけだけど)を挟んだ舞台だ。照明も大がかりなものは使えないから、自分の向かいに座ったお客さんのリアクションがよく見える(ということはこっちも見られてるワケだけど)。客席のどこに座るかによって、お芝居の見方も変わってくるのかもしれない。僕は死刑囚の女が座っているほうで観ることになったが、「ああ、やっぱりオレはこっち側か」と心の中で思わず苦笑した。
 これといった大仕掛けもなく、ひたすらふたりの役者さんの放つ言葉と細かい表情やしぐさで魅せていかなければならない。単調に感じさせない演出と役者さんの力量は素晴らしいです。この近さで観せられたらお腹いっぱい、となる直前で間や調子を変えているのがまあ憎いこと。

 ただ惜しむらくは、役者さんの表情が見にくいのと台詞が聞こえづらいこと。表情が見にくくなるのはこういう舞台を選択した時点で折り込み済みなのだろう。観客の座る位置でどちらか一方の後ろ姿しか見えなくなるのはしょうがないといえばしょうがない。後ろ姿でもじゅうぶん表情が伝わる好演なので文句などないが、観客から見える視覚的な構成が変化に乏しく映像的で、自由度の高い演劇の良さをいささか損ねているのではないかという気がした。
 台詞が聞こえづらいのは、ポンコツな僕の耳と、換気のために窓を開けたせいもあるのかもしれない。でも、舞台と客席が近いということであまり想定していなかったんじゃなかろうか。僕も意外だったが、アクリル板を挟んで向こう側から発する声も、こちら側に背を向けて発する声も、なかなかに聞こえづらいものだ。静かなやり取りが多いだけにね。

 さはさりとて。
 この作品は、決してクライムサスペンスではない。真犯人が現れるワケでも別の犯罪が洗い出されるワケでもない。また死刑制度の是非をやんわり問いかけているようにも思えるが、描かれているのはもっと俯瞰的な角度から人間が「生きること」と「死ぬこと」を捉えた景色のような気がする。
 ラストシーンで、男が女に語りかける何気ない言葉の数々。他人事のように言えるからこそ、時にそれは本質をえぐり出す。ここで男が女に語る言葉には、特別な意味が込められている。直接的には決して言わない。いや、言えないのだ。答えなんて簡単に見つからないし、本当に大切なのは他人事ではないのだから。

     *     *     *     

 やっぱりボヤっとしたうえ、結構ネタバレ的なこと書いちゃってるかもしれません。
 以前から何となく「死刑囚の朝食」の話について、ボヤっと考えておりました。死刑囚って、執行を知らされた朝も、本人の希望があれば朝食をいただけるそうです。しかも可能な限り、好きなモノを。何となくボヤっとしません? 
 今回のお芝居を拝見して、何だか腑に落ちたような気がします。

 キャスト・スタッフの皆さん、町田さん。ひとまずお疲れ様でした。来年も楽しみにしております。



2021-09-24(Fri)
 

ウヌコよ、大地に還れ。

 1年以上のインターバルを経てブログを更新しました。今回は、お食事中には読まないでくださいね。

     *     *     *     

 ウヌコ。

 便秘が1週間も続くと、その「お隠れあそばし具合」が愛おしくなってきたので、僕はそれをそう名付けることにした。ウヌコ。あなたは何故に僕を苦しめるのか。

 人生45年目を迎えてこれほどの難局に見舞われるとは思ってもいなかった。世間はまだまだ自粛や何やで大変な時期だ。だが、こんなことまで自粛する必要はないのだ。毎日快便が望ましいに決まっているのだから。
 それにしても、これは日頃の不摂生の結果か。気持ちは20代、というと聴こえはいいが、要するにココロが実年齢に追いついていないのである。カラダは確実に「老い」という直線街道をまっしぐらに進んでいるのに、食べたいときに食べたいモノを食べ、飲みたいときに飲みたいモノを飲んできた。そう、僕は貧乏なりにも飽食ニッポンの縮図のような食バブル生活をしていたワケなのだ。そこへもってもともとメンタルがガラス細工のように脆く儚いもんだから、それも多少なりとも影響しているのだろう。とにかく僕は、ウヌコに逢えぬまま1週間という日々を耐えた。耐えるしかなかったのだ。何故なら僕がこんなにどストライクな便秘になったのは人生初、言ってみれば便秘の初心者、素人。知識も攻略法も持ち合わせていない。だからといって「じゃあとっとと病院でも行けば?」などと安易な言葉はかけて欲しくない。そう僕は便秘ビギナー、迂闊に病院なんぞへ出向いて、言われるがままにあんなコトやこんなコトをされたくはないのだ。だって怖いし恥ずかしいんだもん。

 そんな便秘ビギナー、略してベンビギの僕ではあるが、以前一度だけ便秘のような症状に見舞われたことがある。いや実際そんな大袈裟なものではなかったのだが、今から5年ほど前、ココロを病んで入院していた頃だった。
 そのとき主治医の先生(精神科です)から、アローゼンという顆粒の薬を処方して貰った。その残りが部屋に眠っていたことを思い出した。まずはこれを飲んでみるか。ただし処方されたのは5年も前、ワインではないのだから薬をそんなに寝かせておいて大丈夫なのかとは思ったが、まあお腹を下してくれるなら結果は同じことである。とにかく飲んで様子を見ようというワケだ。

 結論から言うと、5年前の薬はこちらがドン引きするくらい無反応だった。アローゼンは効かなかった。薬の成分はもはやその役目を終え、二度と目覚めることのない眠りに落ちていたらしい。しかし、僕の「栄養素となる」という使命を果たしてあとは体外へ排出されるという最後のミッションに挑むべきウヌコは、目覚めてくれなければ困る。困るのだよ。

 お腹が張っていよいよしんどくなってきたので、僕は次の手を打った。ドラッグストア。お買い得なカップ麺だの総菜パンだのには目もくれずに薬剤師さんのもとへ走った僕は、改めてここがドラッグを売るストアなのだと当たり前に感心してしまった。
「あのう、もう1週間ほど便秘でしんどいんですが…」
 ややはにかみながら問題を打ち明ける僕に、その女性薬剤師さんは僕にとって恐ろしい現実を突きつけて来た。
「あー、でしたら浣腸がいいですよ」

 浣腸。噂には聞いたことがあるが、僕には生涯縁のないワードだと思っていた。僕の出口に直接薬液を注入するという、医学の知識など微塵もない者が適当に思いついたんじゃないかというくらい至極安直で原始的な、それでいて合理的な手法、それが浣腸。決して子供の悪ふざけで済ませてはいけない。
 しかしだ。薬剤師さん、それはベンビギの僕にとっては余りにもいきなり過ぎてハードル高いっす。ねえお願エしますよ薬ゼエ師さま、どうかこの哀れなベンビギに、もっと優しいお薬を紹介してくだせえまし。…と懇願したところ、この薬剤師さんは女性の味方「ピンクの小粒K」という錠剤を勧めてくれた。
「まずはこれを試して、改善が見られないようなら浣腸をお試しになられてはいかがですか?」
 …うーむ、そう言われると浣腸を買わずにやり過ごせる余地がない。でも浣腸はやりたくない。ハマってしまうかもしれない危険な代物なのだ。現に「こんなにいるか」と思うようなお徳用パックまで売られているではないか。僕はピンクの小粒の効能を信じ、申し訳なさげに2個入り浣腸を手に取った。

 そして。

 ああ、大○製薬さん。僕は競争激しい薬品メーカー戦国時代において、舌が焼けるんじゃないかと思うほどシュワシュワがキツい元気ハツラツ「オ○ナミンC」よりも、貴社が世に出す「リ○ビタンD」を選んでいました。その甲斐あってか(ないわ)リ○Dも今では見事な医薬部外品となり、食品風情のオ○ナミンCとは違って立派に軽減税率10%を取るようにまで成長しましたね。その逞しい姿に、僕は目を細めて何度も頷いたものです。そんな貴社が満を持して送り出したピンクの小粒に、僕は僕の健康のすべてを委ねました。

 なのに。

 僕の体内に留まったウヌコは、ピンクの小粒の成分を見事にスルーした。出ない。効かない。てゆうか「シゴトしてる感」がまったくない。これはどうしたことだ。ピンクの小粒よ、働け!
 …まあお薬は人によって効き目に違いがあるのだから仕方がない。こうなればどいつが僕のウヌコを覚醒させるのか、市販の便秘薬をかたっぱしから飲んでやろうかとも思ったが、僕はそんな、ガラスの靴が合うお嫁さんを捜せるほど身分の高い存在ではない。
 ええ、ええ。分かりやしたよ。下賤なあっしは浣腸がお似合いでやんす。こうして最後のカードを使う決心をしたのだ。
 ある晴れた麗らかな日の午後、僕は自分の部屋のベッドに下着を脱いで俯せになり、その小箱を開けて恐る恐る中のひとつを手に取った。意外とデカい。こいつをこうして…。と、慣れない手つきで先端を僕の出口へ挿入する。発射。
「うおっ…!」
 予想通りの反応だ。そして冷たいものが体内へ入っていく感覚。アクセルの加減が分からず、慎重になる。いやマジで冷たい。お尻から内腿へ、ひんやりと不快感が伝わった刹那、僕は気がついた。
「あ! こぼれてる!」
 うーむ。ベッドのシーツがおねしょ状態になってしまった。でも体内に薬液が入った感触はあったぞ。恐らく半分は入ったのではないか。ベンビギの僕にはまずはこれくらいの量でもいいかと都合よく解釈し、とにかくしばらく反応を待った。

 10分もしないうちに、お腹の奥が唸り声を上げ始めた。説明書には『使用直後は便意を感じても、ギリギリまで待ってください』という旨の指示が記載してある。なかなかに上から目線ではないかとは思いつつ、ここはおとなしく指示に従うことにする。何せ僕はベンビギなのだから。
 20分経過。僕の下腹部は完全に、暗雲立ち込める曇天のごとく「ギュウ―、ゴロゴゴロ…」と不気味な轟きを響かせている。血の気が引くくらいそれを我慢する僕の眼光は、小高い丘の向こうからガゼルの群れを狙うライオンよろしく、鋭く研ぎすまされていたことであろう。「今だ!」…瞬時に決意した僕はトイレへ駆け込み、下腹部内蔵の引き金を引いた。
 バシャー! ついにウヌコが噴射されたか。長かった戦いに、ついに終止符が打たれたか。いや、そうではない。出口から勢いよく放たれたのは、先ほど自ら注入した薬液だけだ。
 これはしたり。やはり量が甘かったか。ここはいったん退いて、時間を置いたのちに改めて二度目の浣腸を施すことに決めた。

 夕刻。リベンジを果たすべく、僕は再度ベッドに横になる。
 もちろん先の失敗から、ただ手をこまねいていたワケではない。僕は浣腸メーカーのウェブサイトをひとしきり閲覧し、正しい浣腸についての知識を吸収していた。何せこちらの銃弾は残り一発、次は失敗できないのだ。
 さて、僕が「メーカーのサイト」という頼もしい軍師より授かった、正しい浣腸の極意とは何か。まずは姿勢についてである。先ほどは何とはなしに俯せでコトに及んだが、サイトによれば「左側面を下にし、両膝を軽く抱えるように」するとのこと。万が一薬液がこぼれてもいいよう、ベッドにはあらかじめタオルを敷いておく。うーむ、僕はさっき、こんなにも基本的な作法まで思いが至らないほど余裕がなかったのか。落ち着け、心を静めよ。浣腸の道に邪念は不要だ。
 さあ、いよいよ突撃開始だ。なに、冬場などはあらかじめ湯煎して温めておくほうがよいとな? …いや、いかに朝晩まだ冷え込む北海道とはいえ、これはある意味、新たなる春の門出を祝う禊なのだ。ここは多少「ぴゃーっ」となっても、常温のままで行こうではないか。何より僕は僕のプライドにかけて、アンフェアな勝負は望まない。
 右手の親指と人差し指で浣腸を軽く手に持ち、正しい姿勢で横になった僕は静かに出口へ向かってその切っ先を近づける。ロックオンするのはこれでなかなか難しい。それにしても、こんなあられもない姿を人に見られたくはないものだ。いや、今まさに天国のお婆ちゃんなどに見られているのだろうかなどと思うと情けなくなってきたが、そこは心を強く持て。自分を奮い立たせ、僕の出口に神経を全集中する。
 挿入、発射。うお、冷たい。やはりアクセルとブレーキの加減が分からない。そんなときこそアグリーマネージメントが何より重要、自分で自分の直腸を煽ってもそれは不毛なことなのだから。僕は極めて慎重に薬液を注入する。それはとても優しい力を要するもので、まさしく愛の力だ。シャンプーを嫌がる我が子に無理やりお湯をぶっかけていいはずがない。そう、僕は持ち得る限りの母性を僕の出口に注ぐ。
 しかし、だ。なかなか薬液が減らない。愛を降り注ぐのは疲れるもので、指先がぷるぷると震えて来たではないか。頑張れ、俺。すべてはウヌコのためだ。とか何とか思っていても、慣れない姿勢を長時間キープすることに僕の指は限界を感じていた。最後の薬液を注入すべく浣腸をプッシュするのを待っていたように、僕の人差し指が痙攣を起こす。指がつった。
「むおっ…!」
 世間は新年度に入り、このコロナ禍においても少なからず新風吹き注ぐ日々。そんな中、何が面白くて自宅でお尻を出してベッドで悶絶しているのだろう。
「ありゃ…」
 さっきほどではないにせよ、ベッドのシーツが濡れている。タオルを通してまたもおねしょ状態だ。自分の出口を自らロックオンすることがこれほど難しい行為だとは。そして30分後、僕は自分の便秘が並大抵のものではないことを思い知らされた。
 またしても薬液しか放出されないのだ。ウヌコよ、君はなぜそんなに頑なにこの世界を拒むのか?

 市販薬も効かない。浣腸も効かない。便秘デビューから10日も経った頃か。僕は目まいに襲われるようになり、耳鳴りまでしてきた。日がな一日ボーッとしたまま、何も手につかない。たまに奇跡の出逢いを期待してトイレで気張ってみるものの、無駄な労力に終わるだけだ。
「ひょっとして、これは何かの大病なんじゃないか?」
 そんな不安にかられても不思議ではない。何とはなしに「便秘 悪化 病気」などでググってみたところ、出るわ出るわ、恐ろしげな病名の数々。大腸憩室炎、過敏性腸症候群、パーキンソン病、腎癌、大腸癌…。うーむ、これはさすがにちょっと怖いな。

 その晩、友人の女の子とラインしていた際に、ふと「俺、大腸癌なのかな」などと送ってみたところ、「大腸癌なら血便が出るよ」と返事が来た。ウヌコそのものが出ないのだから何とも言えないのだが、差し当たって僕の出口が鮮血に染まっているというスプラッターなコトにはなっていないようだ。ではウヌコよ、君はただお便秘さんなだけなのか? 恥ずかしいのか? 出てこいウヌコよ、そんなところへ隠れてないで。
 あれこれ悩んでいても仕方がない。取りあえず明日は、4週に一度の精神科外来だ。主治医の先生に相談してみよう。

 というワケで翌日の外来で、主治医の先生からグーフィスという錠剤、モビコールという粉薬を処方してもらった。グーフィスはいわゆるひとつの下剤、モビコールは相当液状化が進んでいるであろうウヌコを固めるお薬だそうで、先生曰く「最強の組み合わせ」とな。これは期待が持てる。僕は勝利を確信して浮かれ果て、かねてから「春になったらしたいこと」のひとつ、チャリを買いにホーマックへ走った。
 春の風を全身に浴びて自宅までの道を軽快に疾走した僕は、便秘のことなどすっかり忘れていた。そう、少なくともそのときだけは。

 自宅へ帰るなり、満を持してふたつのお薬を服用する。さあ、あとはウヌコの放出を待つだけだ。お腹が空いた。これだけ便秘が続いても、生きとし生ける者は空腹を覚えるのか。しかし僕の貯蔵庫はもう破裂寸前、とりあえず薬の効果でウヌコが覚醒するまでは我慢しよう。そう心に決めて、静かに時が経つのを待った。
 翌日。ウヌコは一向に出て来る気配を見せない。なんかかえって意地になってすっ込んだような気もしてきた。おい、処方薬! これは一体全体どうゆうことなのだ? 精神科とはいえ、れっきとしたお医者様に処方していただいたありがたいお薬のはずではなかったのか? なぜ効かぬのだ!

 どうやら僕のウヌコは相当な人見知りのようだ。僕はこの災難を解決する方法が、もう僕の考えの及ばない範疇に到達したことを悟った。
「よし、専門病院へ行こう」

 病院。人がかの地へ赴くことに躊躇を覚えるのには、様々な理由があろう。煩わしさ、恥ずかしさ、そして畏れ。僕もいっちょ前の年寄りになれば、病院へ行くことがライフワークになるのだろうか。何にしても今は、まだ病院へ行くことに抵抗を感じる45歳だ。ともかくそういった抵抗と自分の体調を天秤にかけて、明らかに逼迫した事態になって初めてその重い腰が上がるというものだ。
 それにしても、いったいどこの病院の何科へ行けばいいのだろう。いきなり肛門科の門を叩くほど僕は猛者ではない。
 取りあえず、札幌市の医療安全支援センターに電話をかけてみた。看護師さんが症状を聞いて、最寄りの病院を教えてくれる相談窓口だ。
「それはちょっと心配ですねえ…」
 応対してくれた女性看護師さんは、僕の症状を聞いてふたつほど病院を教えてくれた。近所の内科と消化器内科だ。お礼を言って電話を切り、早速近いほうの内科へ連絡、その日午後の診察に行くことになった。

 その内科は自宅から、買ったばかりのチャリで5分もしないところにあった。市電沿いの小奇麗な建物。完全予約制なのか院内は空いており、待たされることもなくすんなり診察室に呼ばれる。50歳前後の男性医師。眼鏡の奥の眼が何となく怖い。事前に僕が書いた問診票に目をやりながら、先生が言った。
「工藤さんねえ、こりゃちょっと見直さなきゃいけないよ」。
 何のことだ。
「飲酒に喫煙、ちょっと量が多いし、乱れてるねえ」
 なんと。これでも僕はかなり少なく見積もったつもりなのだが。
「20歳から喫煙…? ホントはいつからなの?」
「いや、ははは…」
 尋問されてるようだ。笑ってごまかす僕の表情は、さぞかしぎこちないものなのだろう。
「じゃ、まあ横になって」
 脇のベッドを促される。来たか。何だ、何をされるんだ。
「仰向けになって、お腹を出してください」
 看護師さんに言われ、観念した僕はおとなしくそれに従うしかない。先生がお腹を触る。
「ああーだいぶガスが溜まってるねえ。…痛みはないの?」
「はい」
「じゃあちょっと、触診するから」
 いうが早いが看護師さんがベッドに据えつけのカーテンを閉める。
「ズボンとパンツを脱いで、横向きになってください」
 おお、来たか。いつか通らねばならない道がいま目の前に現れたぞ。僕はいよいよ覚悟を決めた。
「いいですか、行きますよ」
「…うあー…! あはん」
 思わず乙女のような声を出してしまった。
「はい、いいですよ」
 ゴム手袋を外す音と共に、先生の無感情な声が僕の背中にかかる。何か大事なモノを奪われた、妙な喪失感がよぎった。ベッドから起きてズボンを履き、再び椅子に座る。
「取りあえず、腸閉塞のような緊急性はないですね」
 何を言うか。こちらは緊急事態なのだ。
「お薬は精神科から出てるので間違いないですから、それで様子を見てください」

 無慈悲に操を奪われた挙句、放り出されたようなみじめな気分になった。いったいこれからどこへ行けばいいのか。ウヌコは出る気配もなし、行く当てもなし。僕はこのまま憐れな「ウヌコ難民」となってこの195万人都市札幌という砂漠を彷徨わねばならぬのか。
 いや待て。まだ手はある。医療支援センターで教えてもらったもうひとつの消化器内科へ行こう。そして先の内科よろしく罵詈雑言を浴びせるであろう医者の仕打ちを、心が干からびるくらいに甘んじて受けよう。僕はこの地球上でウヌコを待ってやまないすべての人々の、十字架を背負って生きていくのだ。いろいろ妄想を膨らませると、吐き気をもよおす。そりゃそうだ、下が詰まっているのだから。ああ、こうしているあいだにも僕の直腸やら大腸やらはウヌコでぱっつんぱっつんなのか。シャウエッセンのソーセージみたいなことになっているのか。やめようこれ以上考えるのは不毛だ。というより下品だ。

 もうこんな状態で、何度目の朝を迎えたことか。ウヌコとの邂逅が叶わぬまま2週間になろうとしていた。僕は自宅からチャリで10分もかからない「もうひとつの病院」に向けてペダルを漕いでいた。こちらは昨日の病院とは逆方向、地下鉄駅そばの商業ビルに立地した消化器内科だ。やはり予約制なのか、院内は比較的空いている。問診票を書き込み待つこと15分くらいか、名前を呼ばれて診察室に入った。
「お通じがないということですが、どのくらいになりますか?」
 昨日の内科の先生と違って、こちらは物腰の柔らかそうな男性医師だ。
「もう2週間くらいになります」
「ええっ?」
 僕はこれまでの経緯と症状を事細かに説明した。5年前のアローゼンのこと、市販薬のこと、浣腸のこと、精神科で処方されたグーフィスとモビコールのこと、そして昨日の内科でのこと。
「生活習慣が悪いって、怒られちゃいまして…。ははは」
 聞かれもしないのにこちらから乱れた生活のことをカミングアウトする。
「昨日の病院では、レントゲンは撮らなかったんですか?」
「え? はい、撮りませんでした」
「どうして撮らなかったんでしょう…?」
 僕に訊かれても困るのだが、もしやあの医者め、ヤ○とは言わずとも手を抜いたか?
「とりあえず、レントゲンを撮りましょう」
 ということで、別室へ案内されて腹部をX線撮影された。

「ああー…、だいぶガスが溜まってますね」
 昨日も聞いた台詞だ。これはなかなかのボンベ状態なのだろう。
「てゆうかこれ、ほとんどガスですね。食べ物はそんなに溜まってないようです」
 何い。この異常な苦しさはガスのなせる技なのか。じゃあ僕がこの2週間口にしたものはいったいどこへ消えたというのだ。ううむ、人体の不思議だ。
「とはいえ数日は絶食したほうがいいでしょう。水分だけ摂れば問題ないはずです」
 無慈悲といえ、それも致し方ない。
「一応、浣腸しておきましょう。横になってください」
 うおっ、また出口を見られるのか。しかも浣腸、今度はセルフバージョンではなく、人にされるのか。もう恥じらいもイカの頭もあったもんじゃない。人間こういうときは開き直るもので、僕は効かないとは思いつつもおとなしくベッドに横になり、ズボンを降ろした。
 僕に施しをくれたのは年配の女性看護師さん、だったと思う。いちいち確認する余裕などなかったが、少なくとも若く艶のある看護師さんであれば、例え背中ごしでも僕は何かを感じ取って躊躇したに違いない。
「はい、行きますよー」
 看護師さんの手にしたそいつの先端が、容赦なく僕の出口に侵入してきた。
「おーっ」
 再び乙女になりそうなのを必死でこらえ、僕は野太く芯の通った太い叫び声をあげる。

 20分後、診察室に隣接した患者用トイレで渾身の力を込めた僕の努力の甲斐なく、放出されたのは先ほど挿入された薬液だけだった。やはり効かないか。僕の消化器系統には高性能のオービスが設置されているらしい。逆走は許されないのだ。

「ええとですねえ…。グーフィスとモビコールも間違いではないんですが、ちょっとそちらいったん飲むのをやめて、別のお薬出しますからそちらを試してみてください。それで数日様子見て、改善がないようならまた来てください」
 おお、新しい展開ではないか。何だか消化器内科がやたらと頼もしく感じてきた。
「ありがとうございました」
 いただいた処方箋を手に病院をあとにした僕は、そのまま同じビルにある薬局へ直行する。処方してもらったのはリンゼスという便秘薬と、モサリプドという消化管の運動を整えるお薬で、どちらも錠剤だ。
「あのう…、グーフィスとリンゼスって、どうゆう違いがあるんですか…?」
 お薬の説明をひと通り聞いたあと、薬剤師さんに恐る恐る尋ねてみる。
「リンゼスのほうが強力なんです」
 …なるほど、至極明快な回答ではないか。ラスボス登場というワケだ。
「あのう、ここで一錠飲んでいってもいいですか?」
 こうしている間にも、実は額から脂汗が滲んでいる僕。いろいろあったもんだから、これでなかなかしんどいのだ。許可を貰ってロビーの隅っこに置いてあるウォーターサーバーから水をいただき、早速1錠を喉に流し込んだ。

 さて、手は尽くした。あとは待つのみだ。

     *     *     *     

 便がピーになってから、もう20日になろうとしていた。待ちに待ったその日が、ついにやって来た。まだうすら寒い北国の朝、自宅でのことだ。「ボフン」という威勢のいい噴射音とともに大量のガスが放たれた。体が浮くんじゃないかというくらいの衝撃。その直後、僕の満身創痍の身体は「ぐるるるーん」というエンジン音を奏でる。あうんの呼吸でトイレへ駆け込み、ジャージを降ろして座り込む。準備は整った。
 ずばびぼばぼぶーん。
 おかしなオノマトペに包まれて、それは僕の出口から産み落とされた。完全な成体とはいえないものの、それは紛れもなく僕のウヌコだ。お腹の張りが一気にすぼんだような気がした。およそこの世界にこれほど快楽というものがあったであろうか。ここはやはり、愛しいあいつの姿を拝みたいものだが、僕は所詮卑しい人間、相手はウヌコ。この邂逅に情を挟むことなど許されない。僕はまさしく断腸の思いで潔くトイレの洗浄レバーをひねった。さらばウヌコよ、ウヌコよさらば。君はいま、この北の地の肥やしとなるべく新たな旅立ちを迎えたのだ。

 ウヌコよ、静かに流れろ。そして大地に還れ。

ロケット。

     *     *     *     

開通式。
写真はイメージです。

     *     *     *     

 とんだ茶番ですみません。その後僕の便通は決して芳しいとはいえなくとも、何とか生活できております。やっぱり不摂生はいけないなー、と45歳になって初めて気づかされました。
 念のため申し上げますが、今回僕が服用したお薬は、効能の是非を強調するものではありません。どれが効いてどれが効かないのかは、当然症状や体質によります。便秘に限らず、身体の不調からお薬を飲む際は、薬局の薬剤師さんや病院のお医者さんの指示に従ってくださいね。
 感染症対策も大切ですが、基本的なセルフケアはやっぱり大事ですわ。こんなときだからこそせめてせめて、自宅で美味しいものを食べる悦びをかみしめたいものです。



2021-04-02(Fri)
 
プロフィール

工藤 康司

Author:工藤 康司
 
1976年生まれ。
大阪で舞台役者として人生を謳歌していたが、調子に乗り過ぎたのかその頃から調子にアルコール依存症を発症。
2010年3月、実家のある札幌へ逃亡。
抑鬱と社交不安障害も加わり、2014年に札幌の旭山病院精神科に入院。
その後立派な生活保護受給者となるも、2021年11月も一般職に復帰して生保も返上、現在に至る。
入院時の詳細は前ブログ『ソラヲアオグ』にて紹介しております。今回は退院後の毎日について本当に気が向いたときにだけブログを綴ってますのであしからず。

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